Festival de Frue

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  • 東京で活躍するオーガナイザーの中でも、独自かつ確かな審美眼で音楽好きを唸らせ続けているFrueが、初のフェスティバルFestival de Frueを開催するという情報を知ったのは、確かまだ初夏の頃だった。今回のヘッドライナーであるThe Master Musicians of Joujoukaについては偶然にも、音楽ライターのサラーム海上氏が2013年に現地ジャジューカ村を訪問した際、その模様をSNSで発信していたのをリアルタイムで見ており、サラーム氏の熱っぽい言葉の数々とあわせて、それ以来ずっと心のどこかで気になっていた存在だった。しかしここにきてまさか「いつかジャジューカを聴きにモロッコに行けたらいいな」という、漠然とした遠い憧れのような状態でしかなかった音楽が日本で聴けるというのなら、それはもう行くしかないだろう。 直前で車のトラブルがあり、なんとか会場入りはできたものの、キャンプサイトで野外ステージから聴こえるBlacksheepクルーのサウンドを聴きながら設営を終えた時には、すでに周りは暗くなっていた。メインステージのエキシビジョンホールに辿り着き、思わず息をのんだ。Frueのサイトやフライヤーで使われているアートを踏襲したような淡い色合いの布がホールの天辺から何枚も垂れさがり、奥の出店ブースからの柔らかな光に照らされている。黄昏時の雰囲気も手伝って、まるで見知らぬ異国のマーケットに迷い込んだような光景が広がっていた。この作り込みがもう全てを物語っているなと思う程のインパクトがあった。 出店ブースのエリアをステージ側に抜けると、スポーツスタジアムによくあるような、プラスティックの椅子が並ぶが、ステージ側は照明、セッティング共にシンプルかつ上質でしっかりと作り込まれ、フェスティバルというよりもコンサートという感想が思わず頭をよぎった。スタジアムではありがちな変な反響もほとんど感じられず、音が全体にふわっと広がるように聴こえる。PA、音響スタッフの腕前ももちろん大きかったと思うが、特に中音域が豊かで、40年以上前に作られたホールの設計に思わずうならされた。その後の屋外のステージも含め、音響面は100点満点中120点を付けたくなるものだった。 ステージではちょうど、Svrecaとの共演ですっかりお馴染みとなった映像作家Pedro Maiaと、ブリストルのエレクトロニックアーティストVesselのコラボレーションが展開中だった。Vesselのゴシックで力強いインダストリアルサウンドが轟々とホール全体を揺らし、先ほどの異国のマーケットから数分で全く違う空間に迷い込んだようだ。フロアに降りてみると、もう常設の大箱クラブとも遜色ないのではという出音に驚く。Pedro Maiaの映像はダークながら流れるように繊細な雰囲気のあるアート度の高いもので、レベルの高いコラボレーションを見せていた。全体にはライブバンドが多いラインナップの中でもここまでゴリゴリの音を出してくる、Frueのレンジの広さを否応なしに感じさせられた。
    続いてはいよいよ、The Master Musicians of Joujoukaの登場。一度も聴いた事がない音、想像でしかイメージできなかった音を遂に聴くという期待感でいっぱいになっている中、正装のマスター達が揃って登場し、会場全体があきらかに落ち着かない雰囲気になってきた。歴史的瞬間だ。突如、ビリビリとした独特の倍音が特徴の笛が鳴るや否や、いきなりフルパワーで朗々と鳴り響き始め、一気に場内に満ちていった。1フレーズをどんどん追いかけては繰り返し、そこにポリリズム的に絡むドラムというシンプルな構成だが、民族音楽と聴いてイメージするような、のんびり感や土着的な感じではなく、非常に線的、幾何学的でスリリングなサウンドが嵐のように展開し、頭蓋骨にまで共鳴する。確かにこれは元祖トランスミュージックだ。 最初はスタジアム席で座って聴いていたものの、次第に居ても立ってもいられなくなってきた。とにかくステージから発せられるエネルギーが凄すぎて、徐々に近づいていく形になった。周りにも同じような状態になっている人がたくさんいて、熱狂の中でゆっくりステージに引き寄せられていく様におもわず脳裏に『ハーメルンの笛吹き』という言葉が浮かんだ。そんな笛吹きにあやつられ、ステージ前フロアにたどり着くと、すでに相当の人がひしめき合い、身体を揺らして踊っていた。自分はただただ、すさまじいエネルギーに押しつぶされそうな気持ちで踊っていたのだが、小さな子が親と一緒にキャッキャと踊っていたり、笑顔で肩車されている姿が目に入ってきた。元気な子供はこのエネルギーにさらされてもきっと平気なのだ。それにしてもこんな音を小さいうちに聴けるなんて、本当にうらやましい。
    時間を超えたような異次元の空間に放り込まれている気分の中、オリーブの枝を手にした半人半獣の精霊、ブージュルード役が舞台に出てきて、ステージを右に左に走り始めた。枝をしゃらしゃらと振ると側の観客が一気に盛り上がる。この感じ、ロックスターさながらだ。満面の笑みのブージュルードの登場で、音に圧倒されるばかりだった自分も少し気持ちが軽くなり、最後にマスター達がステージを降りてフロアを練り歩く最高なモーメントまで楽しい気分でひたすら踊り続けた。4000年分の歴史の蓄積された本物中の本物、圧倒的な音楽のパワーを生身で真正面からくらう、という、とにかく人生初の音楽体験も、言葉にすると結局のところ「凄かった」としか言えないのである。自分の中で折り合いをつけて音に戻ってくるまでしばらく時間を要した。 Acid Pauliのまったりとしたセットが聞こえてくる中、散歩がてら場内を探索する。そのままステージ前に移動してみると、暗めの照明の中で気持ち良さそうに揺れている人々が多数。ステージではなくフロアにブースがしつらえてあるのがまた、クラブ感を高めていた。自由奔放さで脳内が翻弄されたDOMMUNEでのセットに比べると奇抜さは気持ち抑え目、ハウシーでメロウな選曲だったが、セット終盤、美空ひばりの”あの丘超えて”が飛び出した。4つ打ちから急にフロアで聴くとさすがにどう踊っていいかわからず、足が止まってしまったのだが、レアグルーヴ的観点からの日本のポップスのリイシューが流行中のいま、ここにも新しいチャンスが眠っているのだろうなという気にさせられた。4時間に及ぶセットの最後、Acid Pauliが「今の自分の気持ちを代弁する1曲を」と言ってドロップしたのは、ABBAの”Thank you for the music”だった。
    翌朝10時からは、ブラジル発の注目のコレクティブVoodoohopの8時間半ライブが、野外ステージでスタートした。ブースのドームテントもすっかりVoodoohop仕様にデコレーションされている。色鮮やかな布を目深にかぶり、白塗りメイクのA Macacaがマイクとマラカスを手に低い箱の側に座り、シャーマンが精霊を呼び出しているかのような、声とも唄ともつかないヴォーカルで、ふわふわとした異次元を感じるライブを披露していた。時折立ち上がってゆるゆると踊り出し、またラップトップで音を変えていく。祭り囃子の擦り鉦のような金属音、乾いたパーカッションの音など、「極彩色の幽玄」とでも言えそうな、独特な世界にじわじわと引き込まれていく。晴天にふかふかの芝生の上という絶好のシチュエーションも手伝い、起きながら夢の中にいるような感覚を覚える。 続いてブース内に入ったUrubu Marinkaがまた強烈だった。細かに調整されていくパーカッションや効果音、ボイスなど、万華鏡のようにめくるめく音像に、どっしりと確かなグルーヴが常にあり、踊ってる側はどこまでもイマジネーションを広げられつつ、遅めのBPMで延々と何時間でも踊れてしまう。そうしてマイペースに踊っていたつもりが、いつの間にかVoodoohop流の怒涛のサイケデリックワールドの底なし沼にはまり込んでいるのだ。ブースの中での機材さばきもきびきびと格好良く、伝統音楽、ラテン・サイケデリア、トロピカリア、ディスコサウンドなどを先述のウワモノとともにボーダーレスにつないで音世界を作り出すDJぶりは天晴れとしか言えない。こんなヤバい音聴いたことがない、と思うや、いつのまにかストレートなサンバやポップスになっていたりと、遊び心もしっかり見せてくれた。 フェスティバル直後から、色とりどりの布や紐で作られた被り物、全身サイケデリックアート柄のぴったりとした服、極めつけに両手にWiiリモコン、というインパクト抜群のビジュアルが瞬く間にSNSで拡散したKaloanだが、肉眼でのファーストインプレッションはかなりのものだった。獅子舞を思わせる躍動感ある動きで、自由にステージ前を動き回ってはWiiリモコンを振り回し、時々ラップトップで冷静に音を替える様子のギャップも含めて、目の前で見ていると最高すぎて笑いが止まらなくなってしまった。ここまでのライブを通してこの場に召喚されている音楽のエネルギーが降臨して踊りまくっているようにも感じられ、ジャジューカのブージュルードのエレクトロニック版といった様でもあった。
    そのサウンドを「ブラジルのレイハラカミ」と例えられもするPsilosamplesのライブもまた、一筋縄ではなかった。ここまでの強いインパクトの中に突如そよ風のようにやってきた最新のボサノヴァ的サウダーヂ感が、ポロポロと転がるような音から組み上げられる。他のクルーのアプローチが足し算だとすると、Psilosamplesは引き算のアプローチで描かれる極上サイケデリアといった面持ちだ。Peter Powerメインのライブは見逃してしまったようだったが、その後もThomashも含め、クルーの皆が入れ替わり立ち替わりしながら、夕暮れまでゆるゆると音を紡いていた。晴れた日に芝生で太陽を浴びながら、好きな音楽を好きなだけ聴いてずっと踊っていられる場所。自分が行ける天国がこういうところだったら最高すぎるなと何度も思った。 Voodoohopのステージはどこまでも桃源郷的だったが、どこかに最果て感のようなものも感じた。完成された音を一度解体し、それを再度組み直していくという音像に「核戦争後の未来世界」的な、がれきから有りものを拾い集め、残された人間の手で再構築したような近未来SF的イメージと重なるものを感じた。デコレーションの肝になっているエスニックな柄の布も、よく見ると様々な地域のものが混じっていて、そんな雰囲気を助長させていた。彼らは冗談めかして「フェイク・シャーマニズム」と呼んでいるようだが、古代の祭祀の引用と先端のデジタルが絶妙にブレンドされている様は、いまユースカルチャー、アートカルチャーとして密かな盛り上がりを見せているグローバルなウィッチ(魔女)カルチャーと通じる部分がある。DIY的な味のあるカラフルな佇まいは所謂インスタ映えも抜群でありながら、やっていることは非常に緻密で先端的、音楽性も高い。この点で、最近とみにウィッチカルチャーに接近したヴィジュアル表現を見せている水曜日のカンパネラによる初日のライブを逃した事が悔やまれる。 2日目の日中はVoodoohopの沼からすっかり抜け出せなくなってしまったが、ようやく抜け出し、メインステージに向かうと高木正勝のライブ中。フードブースから美味しい食事も調達し、まっすぐなサウンドで、彼岸からようやく此岸へのグラウンディングと相成った。今回、フードエリアでは化学調味料不使用となっており、それに応えられる腕のある出店者が集まったせいか、どれもが美味だった。ここもまた全体を貫く本物志向の表れであり、フェス慣れした人々も満足できる大きなポイントであったと思う。テントで仮眠のつもりが、メインステージでのThomashのセットを完全に逃してしまったのは痛恨のミスだったが、気分を立て直し、予定を若干押して23時過ぎから、ジャジューカ村でのセッションを完全再現するとの触れ込みの、The Master Musicians of JoujoukaのNon PAセットがスタートした。特にこのPAなしのセットでは「テントの中で倍音が反響する」というのも重要な要素だという。マスター達がテントにやって来て着座し、改めて近くで見ると高齢な方も多く、初日のあのエネルギーは一体どこから?と思う程だ。テント内は既に一杯になっていたので、外側の芝生に座って鑑賞することになった。
    演奏はほぼ初日と同じような形式で、この時点では幾分穏やかに聴こえた。観客はテント内外含めてほぼ着席で、他のフェスに比べて少し上の年齢層が多いだけに、ちょっとした照れというか、周囲の人々の出方を伺ってしまっている雰囲気は正直なところ感じた。が、セットの2周目からは寒さも手伝い、じわじわと立ちはじめた。私も2周目の途中からテントの内側に入ったが、外で聴く音とは全く違っていた。事前情報の通り、テントの天井に笛の音が反響し、テクノトラックの音そっくりになり、テントの中で轟々と響き回っているのだ。またドラムにも近づいたことで、その低音もかなりの迫力で聞こえてくる。自分自身も含め、さっきまで「大人」ぶっていた大人達はどこに行ってしまったのか?気がつくと全員が押し合いへし合いで本気で踊りまくっている。ゴルフ場の中のテントが、満員のクラブのフロアに変貌した。 大熱狂のうちに2周目のセットが終わると、続く3周目にはついにブージュルードも再登場、初日同様ロックスターばりのステージングを見せ、観客も大盛り上がり。踊れるものならいくらでも踊りたいという初日の熱狂を上回る狂乱ぶりのなかで3周目のセットが終わると、マネージャーが裏手から出てきた。ここで終了か?と思いきや「ティータイム!みんなちょっとタバコでも吸ってきて!」との声に一気に場が和む。この時点で、すでに深夜2時をまわっていたが、2~30分ほどの休憩をはさみ、曇りない月が照らすなか、この狂乱の宴は結局3時半頃まで延々続いたのである。とにかく楽しく満足げな顔がたくさん見え、これほどの特別な場に立ち会えたことに感謝した。 長年音を掘り続けていると、音楽の袋小路に迷いこんだような気持ちになることが何度もあったが、そんな中、主催者のセンスを絶対的に信用できるフェスがまたひとつ誕生した。ライブバンド、電子音楽のどちらにもエッジの効いたセレクションを見せてくれるFrueという存在は貴重である。そんなフェスこそ、参加者にとっても音楽の袋小路からの脱出、テーマ通り「魂のふるえる音楽体験」につながると言えるだろう。フェスにはいろいろな楽しみがあるものの、やはり一番大切なのは音楽。Festival de Frueは、その基本をきっちり押さえた本物志向のフェスであった。 Photo credit / Makoto Ebi