Elektro Guzzi - Parquet

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  • このバンドのコンセプト — つまりギターやベース、ドラムでテクノ(もしくはその周辺の「シリアスな」ダンスミュージック)を作るというアイデア — はもちろん素晴らしいものだが、同時に諸刃の剣でもある。ライブを観に行っても、バンドメンバーの半分がステージ上でラップトップのモニターを眺めている画ヅラを見せられる羽目にならないで済むのは素晴らしいのだけれど、その反面コンセプト負けした、見かけ倒しのプロジェクトになってしまいやすいという危険性も否定できない。だが、沢山のアクト(Brandt Bauer Frick EnsembleやArchie Pelagoがその好例だ)がこうした単なるギミック的なプロジェクトに終わることをうまく回避している。このオーストリア人トリオElektro Guzziもまた、生演奏でテクノを演るというコンセプトにおいて成功しているバンドではあるのだが、昨年リリースされたセルフ・タイトルのデビューアルバムは素晴らしいものであったと同時に、前述した危険性と紙一重のところにあったということも否定できなかった。このバンドがプレイしているミニマルテクノは、あくまでも「バンドがプレイするミニマルテクノ」であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。当然その演奏に込められたミュージシャンシップは素晴らしいものだし、演奏の幅広さやそこから生まれ出てくるグルーヴにもケチのつけようがない。それでも、そのアプローチにはどこか不安めいたものがあったと言わざるをえなかった。 しかしそうしたアーティスティックな面での行き詰まりというものは、その実ただのはじまりにしか過ぎないものなのだ。Elektro Guzziは激烈な仕上がりのライブ・アルバムを引っさげてMacroから再びニュー・アルバムをリリースした。このアルバム『Parquet』は今年リリースされたテクノのレコードのなかでも最も痛快で荒々しく、かつ自由さを持ち合わせた作品のひとつだ。アルバム冒頭でのオブスキュアな演奏そのものがそれをまざまざと証明している。ミュートされたドラムと鼻歌のようなギターがインディー臭い8ビートを奏でて始まる1曲目の"Affumicato"はしかし、ギターのラインがどんどんと広がりキックドラムが唸りを上げ始めるととんでもない大きさのグルーヴが襲ってくるのだ。 彼らのこれまでの作品に比べて、この『Parquet』ではよりロック的な要素が濃い。ギターは唸り、ベースラインはのっそりと歩き、ドラムの手数も多いのだが、同時にテクノ的な要素もこれまで以上に増している。"Vertical Axis"はさながらFunctionも顔負けのビッグルーム・テクノなのだが、とてもギター/ベース/ドラムだけで作り上げたとは思えないほどの複雑な音楽性を持ち合わせている。同様に、"Reserva"はギターを爪弾く豊かなサウンドがシンプルなテックハウスを想起させる。誰か1人特別な技術を持つプレイヤーがいるからこそこうした演奏が可能なのだろうかと最初は思っていたが、実際には3人のメンバー全て — ギターのBernhard Hammer、ベースのJakob Schneidewind、そしてドラムのBernhard Beuer — がそれぞれのトラックでしっかりと見せ場を作っているのだから驚きだ。 興味深いことに、このアルバム『Parquet』において、こうしたロック的な楽器構成はいわゆる人間的なタッチを感じさせない。普通はこうした楽器構成であれば、マシーンの演奏をわざと荒れたタッチにしたり、楽曲にオーガニックなタッチを加える目的で使われるものだが、Elektro Guzziはむしろ非常にデジタル的でパーフェクトな完成度を巧妙にキープする。通常マシーンで演奏されるテクノに内包される硬質さに対し、ある種の危うさを与えるためにこうしたギター/ベース/ドラムの生演奏を用いていると言うべきなのだろう。同時に、彼らはループやオーバーダブの類を一切使わない一方で、フレーズを抽象化し大きく展開させるという技術は以前に比べ飛躍的に上達している。このアルバムにおいて、彼らはアーティスティックな行き詰まりの状態どころか、それを大きく拡張することができるバンドであることを証明している。
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