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  • Published
    5 Jan 2015
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    145 MB
  • Length
    01:03:06
  • 2015年の幕開けはゆっくりと。
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  • Brock Van Weyは感情を抑え込むような人ではない。これまで制作してきた曲全て、受けてきたインタビュー全て、披露してきたDJセットは全て、その瞬間の彼の心情を豊かに表現していた。これが、アーティストとしての彼らしさである。「重要なのは自分の一部をさらけ出すことなんだ。心の一部、魂の一部だ」と、彼は2009年のインタビューにて語っていた。「そして誰かがそれを聴いて自分と同じ気持ちになってくれたら、その人と繋がりができる。それが音楽の最たる美なんだ」。そしてそういった繋がりを生むような作品をVan Weyはこれまで幾度となくリリースしてきた。2007年以来、彼は実に40作ほどのアルバムやEPを発表している。作風はエレクトロ・アコースティックや深遠なアンビエントものが主だが、ビート主体のトラックにおいては、90年代初期のサンフランシスコのレイヴ・シーンでDJとして活動していた彼のルーツがときに顔を出す。彼主宰のレーベルQuietus Recordingsは、「最もディープで、パーソナルで、奥深い領域のエレクトロニック・ミュージックをリリースし、伝えることを目的としている」そうであり、中でも最近リリースした『Tanto』は、これまで以上にパーソナルな作品である。最近他界してしまったVan Weyの猫の名前がタイトルになっている同作は、「兄弟であり親友であった」彼の愛猫に捧げたものであった。 Van WeyのRAポッドキャストは、彼の人生が激変期を迎えているタイミングでの制作であった。中国の紹興市で14年間英語の教授として教壇に立ってきた彼だが、突如、就労ビザの更新の許可が下りなかったことを知らされた。以下で詳しく語っている通り、今回、久しぶりであったミックスを制作することで、彼は一種のカタルシスを経験し、気持ちの整理をすることができたと言う。70分間に及ぶ同ミックスでは、静謐でドラマチックな美しい情景と激しい解放的なドラムが混ざり合い、もちろん、何らかの感情を喚起しない瞬間はひとつもない。 近況報告をお願いします 寒さに耐え忍び(中国の家は外よりも寒いんだ)、破天荒な6匹の猫たちに手を焼き、生徒たちを脅えさせる日々を送る合間に、なんとか音楽を制作しているよ。去年亡くなった、親友のように仲が良かった猫に捧げたチャリティ・アルバム『Tanto』を最近出したばかりだ。売上だけでなく、制作費も込め、お金の100%をうちの猫の命を奪った猫伝染性腹膜炎(FIP)という残酷な病気の治療と研究の資金として寄付するんだ。人生でこの上ない悲しみから這い上がりながら、なんとか彼の名前を借りて世のためにもなるポジティブな行動を起こすことができて嬉しいよ。嬉しいとはいえ、同時にとても悲しいことではあるのだが。 あと、ディープ・テクノだかディープ・ハウスだかわからないが(俺は年々、ジャンル別けに対する関心が薄れている)、そういった作風のアルバムを過去に『Then』と『At Night This City Becomes The Sea』という2作のアルバムをリリースしてもらった日本のレーベルAYのために仕上げたところだ。この方向性(アンビエントとディープ・ハウス/ディープ・テクノの融合)では、俺の最高傑作だと思うほどとても満足している。あと、親しい友人のRafael Anton Irisarriのスタジオを建て直すのを手伝うためにトラックを制作したし、Hundred Watersというバンドのためにリミックスを仕上げた。あと、もうすぐビートレスなアンビエント・アルバムが完成するところだ。この作品は制作に長い時間がかかっているが、静かな音量で聴くことを想定して作っていて、不慣れな作風で手こずっているんだ。しかしこれはこのアルバムのテーマに基づくことだから、運命に身を任せるしかないんだ。 ここのところ音楽制作や、人生そのものがあまり滑らかに進んでくれていない。以前までは制作の原動力にもなっていた慢性鬱病と躁鬱病だが、最近では、俺を感覚を失った幽霊のようにし、唯一抱く感情は暴力的な憤りだった。 そういった状態が続くのは、これまでは長くて数週間といったところだったが、今回のは半年ぐらい続いていて、音楽的に自己表現できるほど感情がはっきりしているのは、ごくたまになんだ。これはなかなか辛いことだ。音楽で表現をしたいという願望は毎日あるが、願望だけでは駄目なんだ。あらゆる条件がクリアされないと駄目なんだ。もちろん、無理矢理自分に鞭を打って制作することもできるが、それは自分の信念に反する行為だ。そんなものは音楽ではなくて、意味のない音だ。だから、気まぐれに突然現れる、表現ができる時間を有効的に活用しなくてはいけないんだ。慢性の鬱病や躁鬱に悩まされている人なら(俺は5、6歳から悩まされている)この気持ち、解るだろう…。しかしこんな人生、解らないほうが幸せだよ。 ミックスの制作環境を教えてください ここ、中国の紹興市の俺のスタジオで、2台のラップトップを使用し、リアルタイムでミックス、エディット、ルーピングをしながら録音したんだ。もともとは選曲を事前にしてから挑むつもりだったんだが、結局は全てボツにして、即興で作ることにした。理由は(1)ミックスとはそもそもそう作るべきだから。(2)14年間の生活に突然の終止符が打たれることになることを、その朝知ったばかりであり、感情を整理し、同時に現実を逃避するための手段だったから。良いことでも悪いことでも、俺は人生における大事は音楽を通して向き合ってきたんだ。だから今回も思考を巡らせながら、俺は心の赴くままにミックスを作ったんだ。結果的に俺はミックスを作るだけでなく、自分を時代遅れのヒッピーな狂人だという印象を人に与えることに成功したというわけだ。俺はヒッピーか?ノー。俺は狂人か?イエス。 ミックスのコンセプトについて教えてください。 生活が180度変わることを突如知らされ、それが良いことなのか悪いことなのか判断しようと熟考すると(どちらにも転がる可能性はある)、今後何が起きるのかという予測をするだけでなく、これまでの過去を振り返ることになる。ミックスを作るにあたって今回、俺は自分の感情を処理しようと試みるだけでなく、未来を見据えて、あるいは想像してみたんだ。過去を忘れることなく、過去に描いて今でも持ち続けている未来像を見失わないことが大事なんだ。このミックスは現在俺がいる人生の分岐点と、それまでの14年間を表しているだけでなく、それ以前の、14年前に辞めてしまったDJ時代に培ったこととか、当時の俺の哲学といった、今の俺を形成している過去への架け橋でもあるんだ。 10年以上やっていたDJを2001年に引退したから、今ミックスを作ろうとすると感情的になる(最近はほぼやらないことだ)が、今回のはいつも以上に感傷深いものになった。このミックスは俺のDJキャリアの終盤の頃が良く現れていると思う。その頃俺はジャンルや分類といったものを全て捨て、純粋に感情に任せて選曲し、ミックスをするようになっていたんだ。この考え方は俺が作る音楽にも現れている。 今回のミックスは、色々な面でとても気に入っているよ。自分を解放して、考えるのをやめ、心に身を任せて作ったミックスだからこその生々しさ、開放感がある音楽旅になった。 この人生の分岐点について詳しく教えてくれますか? そうだね、さっきから言っている「14年間の生活」の件だね。俺はかれこれ16年間教師をしていて、そのうちの14年は中国でだった(途中でアメリカに戻っていたり、行ったり来たりした時期が2年あった)。俺にとって中国は、愛する場所でもあり、憎き場所でもある(まぁどんな場所だってたいがいそうかもしれないが)。だが、大好きなことをひとつ挙げるなら、ここにずっと居る理由である、大学での英語の教授という今の仕事だ。俺は外国人中国人関係無く、中国一に厳しい、最も恐ろしい先生だ。だが同時に、教え子たちのためなら何だってする。彼らもそれは解ってくれている。俺は彼らを家族のように愛している。たとえ、そういった愛情は彼らのほんの一部しか返してくれなくても。それが教師の人生なんだ。 だから突然、「ビザの更新を許可しない」と、「そろそろ祖国に帰る時だ」と国に言われたのは、とてつもなく悲しく、憤りを感じ、正直、侮辱的であった。特に、去年、中国全土におけるベスト外国人ティーチャーという称号を国から授かったばかりだったことを考えると、余計理解に苦しんだことは言うまでもない。 これが、ところが、中国の過酷な現状なのだ。この国、このコミュニティーにどれだけ長く居ようと、どれだけ貢献をしようと、決して一員にはなれないんだ。例え彼らに悪気がなくても、毎日、会う人会う人に、部外者であることを思い出させられる。たいていの人はもちろん悪気なんてない。しかしここに住む上での一番のデメリットであることは変わらないし、おそらくこれが今後変わることもないだろうと思う。この街で暮らす誰よりも、俺は国のため、コミュ二ティーのために尽くしてきたが、結局俺はいなくても良い存在でしかなかったんだ。 ショックと憤りから立ち直るまでしばらく時間がかかり、俺のことを何とも思っていない国のために14年間も人生を無意味に捧げてしまったのかと数週間ほど悶えた。だが、やがて落ち着きを取り戻した俺は、違った視点から捉えることができるようになった。俺はこの仕事を通して、何千人という人数の生徒の人生に良い影響を与えることができたのだ、クラスの中でも、外でも。そしてありがたいことに、たくさんの素晴らしい友人や知人を得た。彼らは俺が今後どこに住もうと、大事な人たちだ。 全てにはやがて終わりが訪れるし、それにはちゃんと理由がある(時代遅れのヒッピーらしさがでてきたぞ)。本音としては、今後どうなるかはまだ解らない。とりあえず少しずつ対処していくつもりだ。だがどれだけ現実を受け入れようとしても、やはり人生の1/3を過ごしてきたこの生活が突然奪われるのは中々受け入れがたい。この生活が好きであろうがなかろうが、一生、自分の人生の一部であることは変わらない。だが中国では何があるか解らないから、あまり遠い未来までは計画が立てられない。ある朝起きて、まだここにいるかもしれない。それとも母国へ帰り、俺を俺として純粋に愛してくれる家族や友人と一緒にいるかもしれない。 今、俺にとっての夢は、落ちこぼれ生徒の指導者になることだ。若い頃、俺はたくさんの過ちを犯しその分代償を払ってきたから、そういった罠にはまらないように誰かを正しい道へと導くことができるなら、それはとても美しくて有意義なことだと思うんだ。俺は基本的に人嫌いだから、奇妙なことなんだがね。しかし先生をしていて学んだのは、人を嫌う理由も沢山あるけれど、人を愛すことも案外悪くないんだなってことだ。 今後の予定は? 親しい友人や、昔から尊敬してやまないアーティストのリミックス仕事やコラボがあって、どちらもとても楽しみだ。そして今年出したいアルバムの構想も練っている状態だが、結局は、自分が思い描いている壮大なビジョンが実際に形になるかどうか見届けるしかない。それ以外では、毎日を慎重に生きて行くだけだ。俺にとって本当に心から大切なことは、昔から音楽のみだった。だから、あまり協力的でない、ときに恐ろしくもある俺の精神が気まぐれに俺に音楽を作ったり、世の人々とシェアすることを可能にしてくれたときは、世界のなによりも自分にとって大事な贈り物なんだ。