80年代の音楽には、一聴するとすぐに年代が解る楽曲が多いが、それは当時のアーティストが好んで使用していた機材にとても特徴的な音色を発するマシンが多いからだ。80年代に突入すると、比較的リーズナブルな値段で入手できる電子楽器が市場に増え、斬新な音楽をやりたいと考える若者たちはシンセサイザーやドラムマシン、サンプラーといった、従来の楽器とは違うものを駆使して新しい音楽の行方を模索した。なかでも、1980年にRolandから登場したドラムマシンTR-808は、当時人気であったLinn LM-1などと比較して安価であったため、アンダーグラウンドなプロデューサーたちにとっては手が出しやすい機材であった。

だが、日本では「やおや」の名称で親しまれているこのドラムマシンの魅力は、決して値段だけではなかった。「あのマシンに入っていた音、ひとつひとつに惚れたんだ」。そう語るのは、Egyptian Lover名義で80年代から活動しているプロデューサー／DJ／ラッパー、Greg Broussardである。「キック、スネア、クラップ、ハイハット、カウベル、リムショット。最初にあの機械から発される音を聴いた時、そのドラム音だけで曲として完成していると感じた。すぐに『買おう！』と思ったのを覚えているよ。未来的なサウンドだと思ったんだ」

彼が最初にその特徴的な音を聴いたのは、Arthur BakerがプロデュースしたAfrika Bambaataaの不朽のBボーイ・アンセム、"Planet Rock"であったのだと彼は言う。「Afrika Islamという人に『これはドラムマシンという機械で作られているんだ』と教えてもらった。『え、ボタンを押すだけでドラムの音が鳴って、ドラムを演奏できなくても曲が作れるんだって？』って驚いて、俺はすぐに欲しいと思ったね。兄がミュージシャンだったから、彼に拍子の数えかたとかドラムパターンの作り方を教えてもらって、そうやって学んでいったんだ」

当時のドラムマシン界では生ドラムの音をデジタル・サンプリングし、なるべく生音に近づけるのが主流であったが、808のアナログ回路から生成されるドラム音は生音とはあまりにかけ離れていたため発売当初は評価されなかった。が、そのチープで機械的なサウンドに可能性を感じた若者たちは、808を使用してヒップホップやエレクトロ、テクノといったジャンルを生み出していき、いつしかこのサウンドが定番になっていた。現在でもトラップなどの音楽ジャンルでそのサウンド（あるいは類似のもの）を聴くことができる。

Broussardもそういった若者のひとりであった。ロサンゼルスのダンス／ヒップホップ・シーンの黎明期からDJとして活動をしていた彼は、ニューヨークで発信されていたエレクトロというジャンルを西海岸で確立させ、その後に続くLAヒップホップ・サウンドの礎を築くことに貢献した。しかしそのことについて彼は、謙虚な姿勢を見せる。「当時、新しい音楽をやっているという意識はあったよ。だが俺がパイオニアかどうかなんていうのを気にしたことはなかった。ただ俺は人々を踊らせたくて格好良いビートを作ろうとしていただけなんだ」

だが、人と違うことをしたいという気持ちは明確にあったようだ。「Kraftwerkを最初に聴いたとき、このエレクトロニックなビートの上でラップしたら楽しそうだなと感じたんだ。って思っていると“Planet Rock”が登場して、『ヤバイ、先をこされた！』と思ったんだ。しかもKraftwerkよりも低音が出ていた！だから俺は彼らのスタイルを参考にしつつ、ちょっと違うことをやろうと思った。もっと低音を強くして、昔から大好きだったプリンスの音楽性を混ぜたんだ。Princeの息遣いとか、ささやくようなラップの仕方とか、エロさとかね」。Kraftwerkの異世界的な無機質ビートとPrinceの官能的なファンクを融合させたのが、Egyptian Loverサウンドであった。

ロサンゼルスのダンスシーンを牛耳っていた人気パーティー・クルー、Uncle Jamm’s ArmyのDJとして活動していた彼は、808をDJプレイに導入するようになり、事前に打ち込んだオリジナルのビートをレコードの合間にかけるといったことを始めた。「観客の反応が凄くよくて、周りからも大絶賛されたんだ。それで、オリジナル曲でレコードを作りたいと思うようになった」。ロサンゼルスのブレイクダンス・シーンをとりあげたドキュメンタリー『Breaking And Entering』のサウンドトラックに曲を提供したあと（本人も映画に登場している）、Uncle Jamm’s Army名義でシングル“Dial a Freak”と“Yes, Yes, Yes”を制作し、1983年にリリース。その翌年にはソロ・デビューEP「Egypt, Egypt」を自主的にリリースし、ヒットさせている。

「すでにUncle Jamm’s Armyはとても人気があったんだが、“Yes, Yes, Yes”と“Dial A Freak”がラジオでかかるようになると、よりいっそう凄いことになっていったね。ラジオではそれらの曲がひっきりなしにリクエストされていた。だが俺がソロ曲“Egypt, Egypt”を作ってRoger（Uncle Jamm’s Armyのリーダー）に聴かせると、『その曲をリリースしたら“Yes, Yes, Yes”と“Dial A Freak”がかすんでしまうから、ちょっと待ってくれ』と言われたよ。実際、“Egypt Egypt“が出るとラジオでは1時間に1回の頻度でかかり、リクエストが耐えなかった。B面の“What Is a DJ If He Can’t Scratch”と“My Beat Goes Boom”もよくかかっていたよ」

スペーシーなシンセ音、ファンキーでダンサブルなグルーヴ、硬質のクラップやハット、そしてフリーキーで誘惑的なラップを組み合わせたBroussardの音楽は、World Class Wreckin’ CruやLA Dream Teamといった、西海岸のパーティー・クルーたちに多大な影響を与え、そういったクルーもどんどんと音楽性の近いシングルをリリースするようになっていき、西海岸のエレクトロ・シーンが盛り上がっていった。なお、Broussardがマイアミで808のライブセットを行った際、マイアミ・ベースの初期アーティストが見に来ており、マイアミ・ベース・シーンの活性化に貢献したという逸話もある。

だが80年代の後半にさしかかると、それまでWorld Class Wreckin’ CruのメンバーであったDr. DreとDJ Yellaが、Eazy-Eとヒップホップ・グループN.W.A.を結成し、後にギャングスタ・ラップと呼ばれるようになるハードなラップ・スタイルを生み出し、人気を博した。するとロサンゼルスのヒップホップ・シーンはパーティー・ラップから離れ、ギャングスタ一色に染まっていった。余談だが、その後Dr. Dreらが90年代前半に流行らせる「Gファンク」サウンドも、そのシンセ使いなど、Egyptian Loverらが開拓した西海岸エレクトロの進化型のひとつであったと言えるだろう。

ギャングスタ・ラップの台頭でパーティー・ミュージックを作るヒップホップ・アーティストの人気が下がるなか、よりハードコアなスタイルを導入しようと考えたことはあったのか？ときいてみると、まだ「ギャングスタ・ラップ」という概念が生まれるずっと前にそういったことをしていたのだと、パイオニアらしい答えが返ってきた。「高校生だった79年～81年ぐらいに、よくカセットのミックステープを作っていたんだが、インストの上に自分でラップをのせていて、そのときギャングスタっぽいことをしていたんだ。高校を卒業したころにMixmaster SpadeやIce Tと知り合ったんだが、彼らもそういうラップをしていた。だが俺はもっとパーティー向けの音楽がやりたいと感じたんだ。フッド（ゲットー）の中だけで聴かれる音楽じゃなくて、世界中の人々に聴いてもらえる音楽をやりたかった」

そういう心意気があったからこそ、彼の音楽はロサンゼルスのローカルなシーンに留まらず、やがて世界各地のダンスフロアを揺らすこととなった。自身の音楽が西海岸を超えて遠い彼方まで届いていることを最初に実感したときのエピソードを教えてくれた。「とあるニューヨークのレコード店が俺のレコードを大量に注文していたんだ。かなりの数だ。全部で多分50万枚とか100万枚とか、そういったレベルだ。しかも入金もしっかり期日内にしてくれる。しかし、俺のニューヨークの友人に『そっちで俺のレコードがめちゃくちゃ売れてるみたいだ。きっとあちこちでかかってるんだろう？』と訊いてみると、彼は一度も聴いたことがないと答える。不思議に思ってそのレコード店に足を運んでみた。そのレコード店はとってもちっちゃな店舗だったよ。売り場を覗いてみると、俺のレコードの残りは3枚だ。そのちょっと前に1万枚ぐらい発送したばかりだった。オーナーに話しかけてみると、『あなたのおかげでうちはとても繁盛してるんですよ！』と感謝されたよ。『こちらとしてもありがたいですよ！』と言ったね。レコードはどういう人たちが買っているのか訊くと、なんとヨーロッパだとかロンドンで馬鹿売れしていて、そっちから大量にレコードの注文が来ているとの話だったんだ。そのとき、俺の音楽が世界中で聴かれていると知った」

彼は斬新なDJテクニックを西海岸で誰よりも早く導入し、誰もやっていないトリックを発案したことでも知られている。Grandmaster FlashなどのニューヨークのDJがスクラッチといったターンテーブル・パフォーマンスを有名にさせたのは間違いないが、その同じ頃、西海岸で同じことを彼はすでにやっていたのだ。Uncle Jamm’s Armyに加入したのも、その類まれなDJスキルやパフォーマンス性が買われてのことであった。「新しい技を開発するのが凄く楽しかったね。テープ・エディットとか、2枚使いとか、レコードをずっと逆回転させて曲をまるごと逆再生しちゃうとか。そういうのを誰よりも早く、誰よりも格好良くやることに情熱を注いでいたよ。他のDJと同じ曲をかけても、違って聴こえるようにしたかったんだ」

現在もヴァイナルでDJをすることにこだわり、ライブセットでは808の実機を即興演奏する彼は、オールドスクールの感覚を大事にするDJだ。そんな彼だが、テクノロジーの進歩により、DJがブースの中でできることが格段に幅広くなったことは、とても良いことだと捉えている。「最近では、DJがよりプロデューサー的なことをやりやすくなっていると思うね。自分が制作した音をその場で組み立てたり、即興的にトラックをプロデュースしたりしながらDJをすることができて、DJとプロデューサーの境界線がこれまで以上にあいまいになった。パソコン1台を現場に持って行って、人とは全然違うオリジナルなプレイをすることができるようになったのは、とても面白いと思っている」

しかし、便利になったからこそ失われたものもあるのではないかと、彼は考える。「昔、スタジオを借りて制作をしていた時代、時間を無駄にできないから1曲に全力を注いで制作していた。しかしベッドルームでちゃちゃっと制作できてしまう今なら、1曲にそれほどの覚悟はいらない。次の日にまた新しい曲を作ればいいだけなんだ。そのときの感覚でさらっと出来てしまうものは、俺にとっては、あまりプロ意識が高いとは言えない。もちろん、毎日努力して最高な音楽を作ろうとパソコンに向かっている人たちもきっと沢山いるだろう。だが、限られた時間で制作しなくてはいけないというプレッシャーがあった昔とは、確実に違うということは間違いないんだ」

最近の一連のヴァイナル人気再燃についてどう思うか問うと、ワントーン上がった嬉しそうな声が返ってきた。「最高だね！とてつもなく嬉しいよ。毎年どんどんビッグになっているし、今時のキッズたちがどんどんレコードに夢中になっている。素晴らしいことだ」。自宅に大量のレコード（主に12インチ）を所有しているという彼は、レコードの魅力を若い世代に積極的に伝えていきたいと考えているようだ。「甥っ子にこう言ったんだ。『レコードはコレクターズ・アイテムだぞ。だから世代を超えて受け継ぐことができる。君がいつか自分の甥に音楽を譲り渡したいと思っても、自分が聴いてる曲が全部スマホにのっていたらそれができないんだ』ってね。時間が経ったあとのことを考えると、LPはいつかコレクターズ・アイテム化するが、mp3は最終的に削除される運命にあるんだ」

1984年の『On The Nile』を皮切りに、グレイテスト・ヒッツやリミックス・アルバムも含むと、去年までに8枚のアルバムを自レーベルEgyptian Empireなどからリリースしてきた彼だが、去年、約10年ぶりとなる新作『1984』をリリースした。原点回帰の意志表示と取れるタイトルから察することもできるが、このアルバムは1984年のときのフィーリングをまた蘇らせたいという思いから生まれた作品であったと彼は言う。「1984年のときと、まったく同じ作り方をしたよ。同じスタジオで、同じ808やキーボード、エフェクトを使って。唯一違ったのは、テープに録音するかわりにPro Toolsを使ったところだ」

今年4月15日には、Stones Throwより22曲入りのアンソロジー『Egyptian Lover 1983-1988』がリリースされた。Egyptian Loverの代表曲から未発表曲まで収録され、このウエスト・コースト・レジェンドの真髄が詰まったコンピレーションである。Stones Throwは以前、同じくLAヒップホップ／エレクトロのパイオニアであるArabian Princeのアンソロジーも出していたが、そのArabian Princeを通して、Egyptian LoverはStones Throw主宰者のPeanut Butter Wolfと知り合ったのだと語る。「彼に、当時大ファンだったと言われたよ。俺はもともと自分の音楽を集めたボックスセットを作りたいと思っていて、30周年を記念して2014年に出すつもりだったんだ。しかしニューアルバム『1984』の制作で忙しくて、なかなか進められないでいた。そんなときに彼のほうから『うちのレーベルでやらせてくれないか』と言われたんだ。『こういうことをしたい』とか、『こういうパッケージにしたい』と素晴らしいアイディアをいっぱい出してもらった。それで、『よし、なら一緒にやろう』ということになったんだ。これはずっとやりたかったことであり、自分の活動の集大成として良いものが出来たと思う。夢が叶った気分だよ」

ヒップホップやダンス・ミュージックの発展に貢献し、DJテクニックを革新したという観点で考えると、Egyptian LoverはGrandmaster FlashやAfrika Bambaataaらと同じカテゴリーに入れられてもおかしくはない存在だが、そういった名前と比較すると知名度は圧倒的に低い。しかし、現在も世界を股にかけてDJや808のライブを行い、80年代にやっていたのと同じ手法でフロアを沸かし続けている彼は、きっと名声などよりも、ひとりでも多くのひとに自身の音楽を届けたいという一心で、日々活動を続けているのだろう。そして彼の音楽に影響を受けたアーティストや、彼の音楽に影響を受けたアーティストに影響を受けたアーティストが音楽を作り続けるかぎり、Egyptian Loverの808ビートの鼓動は鳴り止まない。「Rick Jamesにあるときスタジオでこう言われたんだ。『曲を作ることは身体にタトゥーを入れるのに似ている。完璧な状態にしてから世に出すんだ。何しろ、一旦世に出してしまったら、完全に消し去ることはできないからな』ってね」

Egyptian Loverは、4月29日から5月1日に東伊豆クロスカントリーコースで開催されるフェスティバルRainbow Disco Club 2016のRed Bull Music Academy Stage、そして4月29日東京Sound Museum Visionと5月3日大阪Circusで開催されるStones Throw 20th Anniversaryに出演します。