ルーマニアという土地には、変化をごく自然に受容する風土があるのかもしれない。ここ数年、いわゆるルーマニア産のミニマル・ハウスはある一定のフォーマットが支配してきた。簡潔に言うなら、うねるようなグルーヴ、全面に押し出されたビッグなベースライン、そしておそらく最も特徴的なのは全体を覆うダビーなトーンであろう。現在「ルーマニアン・サウンド」というタームで呼ばれるトラック群はすでにシーン一般に浸透し、前述のような特長を踏まえた無数のトラックがシーンに溢れかえっている。しかし、こうしたタームは遠からず陳腐化してしまうだろう。その変化には、Baracという名義で活動するBarac Nicolaeの存在が大きく影響することになるはずだ。

現在はブカレストに住むBaracは、定型化したルーマニアン・サウンドと決別し、よりメロディを重視したカラフルで質感豊かな作品を志向する新世代プロデューサーの代表格だ。彼をはじめとするアーティストたちが目指すサウンドは、Thomas MelchiorやBaby Ford、Steve O'Sullivanといったベテランたちのように、メロディを最小限に使いつつ最大限の効果を生み出すミニマル・トラック群と共通項が多いかもしれない。Petre Inspirescuの作品は別格として、これまでルーマニアのシーンではこうした手法が完全に定着したことはない。いまやダンスフロアーにおけるミニマリズムの最先端を行くルーマニアのシーンだが、この地のプロデューサーの大半はアブストラクトなサウンドと荒削りなループを好む傾向にあった。そこには、おそらくこのシーンにおいて最大の成功を果たしたレーベル[a:rpia:r]の影響が強く作用しているのだろう。しかし、BaracをはじめMelodie、SIT、Suciuといった急成長のさなかにあるプロデューサーたちは、明らかにこの地のミニマル・サウンドをさらに新たな次元に推し進めようとしている。

Baracはミエルクレア・チュクというルーマニア中央部に位置する人口4万人ほどの小さな町で生まれ育った。2002年、21歳の時に彼はミエルクレア・チュクから東に100km離れたバカウという都市に移る。今から3年前に彼はブカレストに移ることになるのだが、それまで彼が暮らしていたのはこのバカウだ。彼は10代のころからラジオ業界に身を置き、プロデューサーや司会者などあらゆる形でラジオに関わってきた経歴がある。Barac自身のストーリーの大半は、バカウの街で作られたと言っても過言ではない。というのも、彼はこのバカウでRareshという名の若い音楽マニアの青年と出会うことになるからだ。BaracとRareshの2人はそれから現在に至るまで友情を育みつづけ、Barac自身のキャリアに大きな影響を与えることになる。その友情の歴史は、昨年RareshのレーベルMeterezeからリリースされたBaracのファースト・アルバム『Variety Of Different Feelings』でひとつの結実をみる。Baracのパーソナルな作家性がディープに反映されたこの作品は、近年稀に見るパワフルなミニマル・アルバムだったといっていいだろう。収録された6曲のロング・トラックすべてが驚くべき多様性のもとで構成されており、エモーショナルな魅力が横溢していた。「Personal Insight And Inspiration」での低くせり上がるようなシンセの曇りなき音色、そして「Marea Neagră」でのトロピカルでアトモスフェリックな多幸感に至るまで、『Variety Of Different Feelings』は控えめかつ雄弁なアルバムに仕上がっていた。

Baracにとって、これほどまでのサウンドにたどり着くまでの道のりは決して生易しくはなかった。Baracは同じルーマニア出身のDubtilと共にNoiDoi名義で初期のリリースを行ってきたが、そのトラック群はあくまでもダンスフロアーのみを主眼に置いたものであり、作品性よりも機能性を重視していたことは明らかだ。しかしそれからの数年間にわたり、BaracのサウンドはRhadoo、Petre Inspirescuそして旧友のRareshといったこのシーンをリードするDJたちのセットに頻繁に組み込まれ、次第にその存在感と知名度を増していった。昨年、RAのDJ pollにおいて初のランキング入りを果たしたBaracは、そのディープで刺激的なサウンドの根幹にスピリチュアルなアプローチを取り入れてきたという。このロング・インタビューにおいて、彼は人々を単にダンスさせるだけには留まらない、その先にあるはずのものについて熱っぽく語ってくれた。

Barac

あなたは現在フェスティバル出演のためにメキシコに滞在しているそうですね。ツアーでの移動は大変ではないですか？　また、こうしたフェスなどでは普段よりもセットの時間が短くなるのでは？

今回に限って言えば、移動は特に問題ないよ。というのも、今回はスケジュールに十分な余裕があるので、睡眠やリラックスのための時間もたっぷりあるんだ。セットの短さについても十分対応できるよ。セットが短くても不満はない。2時間かそこらの短いセットでも、特に焦ったりはしないよ。すべてのクラブが好きなだけ長い時間営業できるわけではないからね。個人的には、2時間だろうが10時間だろうが、自分のベストを尽くすという点では何ら変わりはない。

バカウでDJキャリアをスタートさせた当時から、長時間のセットをする機会は多かったのですか？

僕が駆け出しの若いDJだった頃は、1人のDJが長時間のロングセットをやるという考え自体が一般的ではなかったんだ。当時のルーマニアにおけるエレクトロニック・ミュージックのシーンはごく未発達な状態だったしね。ロングセットをメインにパーティを構築するというアイディアは、Sunwaves Festivalやそれに付随した長いアフターアワーズなどを通して徐々に浸透してきたものなんだ。とりわけブカレストではその定着は早かったけどね。あと、忘れてはいけないのは、バカウは小さな街だってこと。バカウのような街では、このタイプの音楽をフォローしている人間はごく一定数に限られているからね。だから、ロングセットというアイディアの始まりはSunwavesとブカレストなんだ。ブカレストでは、かなり急速にシーンが成長していたからね。

僕がDJを始めた頃は、だいたい常に3時間か4時間くらいプレイしたあと、メインのゲストDJがプレイするっていうパターンが多かったな。ルーマニアのシーンで良い面を挙げるとすれば、クローズの時間を気にする必要がまったくないってことさ。その伝統は今でも変わっていないし、僕らは好きなだけ長い時間パーティを続けることが出来る。ブカレストに来てみれば、僕の言っていることが分かってもらえると思うよ。僕らは2日間でも3日間でもひたすらパーティを続けている。ノンストップでね。DJは1人あたり少なくとも5時間から6時間はプレイして、また次のDJがプレイする。そうやって新しいエナジーがどんどん引き継がれていくってわけさ。

バカウからブカレストへ移ったのはいつだったのですか？

約3年前かな。さっきも言った通り、バカウは小さな街でね。ここでずっと暮らしていると、どうしても頭打ちになったような気分になるんだよね。小さな街では、どうしてもシーンも小さい。バカウから離れていった友人たちもすでに多かったから、もはや最後に僕だけが残ったという感じだったんだ。ブカレストへ移るという決断は、僕の人生における最良の決断だったと思うよ。ブカレストへ移ってからというもの、僕を取り巻く環境のすべてがすごく良い方向へ向かいはじめたんだ。でも、これはブカレストに行きさえすればすべて望むものが手に入るパラダイスが存在するという意味ではないよ。どちらにせよ、目一杯努力しなきゃいけないことに変わりはないんだ。僕は毎日仕事に行くときも、レコードをディグするときも、音楽を作るときもいつでもこのことを頭に置いている。この世界で成功するにはかなりのプレッシャーがあるけれど、うまく対応することが出来れば、自然と結果はついてくるんだ。僕の個人的な意見だけど、何をするにせよ、それが何であろうと、君が注いだエナジーは遅かれ早かれ自分自身に還ってくるんだ。常にそれを受け容れる準備をしておく心構えが肝心なのさ。僕はこのことを毎日心の片隅に置いているよ。

ブカレストに移ってから、あなた自身が作る音楽にはどんな変化がありましたか？　もちろん、より多くの人々と知り合いになり、より多くのパーティに出掛けるようになったとは思いますが。

ブカレストでのパーティは超ロングだし、アフターアワーズも長いから沢山の興味深くて知的な音楽を耳にする機会は増えたね。僕のプロデュースやDJにおいて変化を与えた要素があるとすれば、まずそれだろうな。とりわけ、[a:rpia:r]クルーからはいつもたくさんの刺激を受けているよ。僕の主な影響源は、友人であるRhadoo、Raresh、Pedroの3人なんだ。これは昔からずっと変わらないね。彼らはこのシーンを作り上げた先駆者であるというだけではなく、このシーンのサウンドを世界に広めた立役者だからね。僕が以前聴いていたようなエレクトロニック・ミュージックとはまったく違う世界を彼らの音楽が見せてくれたんだ。

ブカレストへ移る以前から、こうした長いパーティに遊びに出掛けることはあったのですか？

ブカレストへ移る以前は、ママイアまで7時間ドライブしてSunwavesへ遊びに行ってたよ。現地に着いたら、それから2日間から3日間はずっと寝ずに遊んで、途中2時間だけ眠って、それからまた2日間ぶっ通しでダンスするんだ。僕はこういうやり方でパーティの本当の楽しみってやつを覚えていったのさ。ブカレストでも、Club Guesthouse（ブカレスト市内でも最も重要なヴェニューのひとつ）でRhadooがプレイする時は似たような遊び方をしていたよ。そのパーティは日曜の夜か、下手したら月曜の朝まで続く超ロングなものだったからね。Club Guesthouseへ遊びに行く時は、4時間ドライブして金曜の夜にブカレスト市内へ到着し、そのままパーティが終わるまで寝ずに遊ぶってわけさ。僕はこういう遊びをしばらく続けていたんだけど、僕自身もルーマニア国外でのギグの機会が増えてきてしまったので、バカウを起点にして車や鉄道、飛行機などを使って移動することが難しくなってしまったんだ。そんな理由もあって、僕はブカレストへの移住を決めたんだ。ブカレストには国際線の空港もクラブもパーティも、それに友人たちもみんな揃っているからね。

ブカレストへ移る前はラジオ局の仕事をしていたとか？

そう、僕は地方ラジオ局でプロデューサーをしていて、ジングルなんかも作っていたんだよ。それに、自分の番組も持っていた。約10年間、複数のラジオ局で働いてきた。最初は、生まれ育ったミエルクレア・チュクで1996年か1997年にこの仕事を始めた。それから2002年にはバカウに移ってね。僕にとって良い時代だったよ。ラジオの仕事を通して音楽のカルチャーを沢山学んだし、60年代、70年代、80年代、そして90年代とあらゆる時代の音楽をプレイした。さまざまな音楽から影響を取り入れるという意味でも、ラジオでの経験は僕のプロダクションに活かされていると思う。僕はひとつのジャンルの音楽、もしくは一握りのジャンルだけをひたすら聴きつづけるタイプの人間じゃないからね。特別なフィーリングを感じるものであれば、何だって聴くよ。言い換えれば、エナジーのある音楽っていうか。僕の感情を内側から突き動かして、エモーションを伝えてくれる音楽をね。

僕の個人的な意見だけど、80年代、90年代、そして00年代初頭は音楽にとって最良の時代だったんじゃないかと思う。とりわけ、この時代のエレクトロニック・ミュージックはサウンドのクオリティという面で大きく飛躍していったからね。テクノやハウスに関して言えば、最良の作品が生まれたのは90年代と00年代初頭だったと思う。とはいえ、現代には良いプロデューサーが存在しないという意味ではないよ。良いプロデューサーは現代でも確実に存在するけど、質の高い音楽を見つけることは非常に難しくなっていると思う。

ラジオの仕事はどうやって得たのですか？　いわゆる職業体験のようなものだったのでしょうか？

僕が通っていた高校では小さなラジオ局のプロジェクトをやっていて、僕もそれがきっかけでDJを始めたんだ。クラスルームのすぐ隣に学校のラジオ局があって、そこで働いているスタッフが、授業開始前にかなりでかい音量で音楽をかけるんだ。しかも、まだ早朝7時半くらいで、まだほとんど誰も登校していない時間帯にね。僕は壁越しに聞こえてくる音楽に耳を傾けつづけていた。とりわけ、ブーン・ブーン・ブーン・ブーン... っていう低音をね。僕はすっかり低音の虜になってしまったのさ。

Barac Cover

それからすぐに、地元のラジオ局で働いているスタッフと出会ってね。僕はラジオ局に興味があったから、ラジオ局がどんな仕組みになっているのか見学させてほしいって頼んだんだ。彼は快く局内を見学させてくれて、当然ながら僕はこの仕事に夢中になったよ。このスタッフは自分で番組を持っていたから、僕も毎週末のように遊びに行くようになったんだ。それから、ごく自然なかたちで彼と一緒に働くことになったというわけさ。僕は当時すでに音楽の世界で一生食べていきたいと考えていたんだけど、始まりはラジオだったんだ。やがて僕は自分の番組も持たせてもらえるようになって、ハウスをプレイしてた。とはいえ、本格的なハウスではなく、当時はハードハウスやハードテクノばっかりだったんだけどね。でも次第に、いろんなジャンルの音楽の存在に気付くようになったんだ。最初にRareshと出会って、やがてRhadooやPedroとも知り合うようになるんだけど、彼らに出会った時はようやく自分で作ったりプレイしたいと思える音楽を発見できたような気分だったね。

Rareshはあなたと知り合った当時から特別なDJだったのですか？

間違いなくスペシャルだったね。DJとしてスペシャルなだけでなく、その人間性や性格もスペシャルさ。ラジオ局に勤めていた当時のことをよく憶えているよ。当時は今ほどインターネットが普及していなかったし、自宅にネット回線を引いている家庭はごく一握りだった。そこで、Rareshはしょっちゅうラジオ局に来ては、僕と一緒にオンラインで音楽を聴いていたんだ。彼はメモ帳がわりの携帯電話を常に片手に握っていて、そこにはアーティストの名前がびっしりとメモされていた。Zebra Clubに特別なゲストDJがプレイしに来る時も、彼はまったく同じようなことをしてたよ。彼はDJがプレイしているトラック名やそのアーティスト名をチェックして、ラジオ局のインターネットを使ってそれを探すという作業をひたすら繰り返していた。彼は基本的に今でもその当時と変わらないよ。音楽のことにかけては超絶なまでに情熱的なんだ。

RareshのDJプレイを初めて聴いたときのことを憶えていますか？

あれは2002年だったね。Rareshは当時からとても興味深いDJをしていたよ。まだあまり知られていないエピソードを教えてあげようか。僕の友人で、かつてバカウのあるクラブでレジデントDJをしていた男がいたんだ。ある日Zebra Clubのオーナーが、その友人に「ウチのレジデントDJにならないか」とオファーした。彼はその誘いを断ったんだけど、代わりにZebraのレジデントにぴったりの奴がいるって伝えたんだ。それがRareshだったってわけ。RareshがZebraのレジデントになったのは、こんな経緯があったんだ。彼が音楽に対してどれほど情熱を注いでいるか、バカウのシーンの人々は皆知っていたし、彼は学校が終わると常にDJの練習とレコードのディグに明け暮れていたからね。彼はほんとに昔からあのままなのさ。

[a:pia:r]の3人とはすでに長い関係だと思いますが、彼らからはどんなアドバイスがありましたか？

Rareshが常に僕らに対して言っているのは、自分たちの作った物を信じろってこと。スタジオで長時間努力した見返りは必ずある、ってね。また、彼は常に謙虚であることの大切さをよく口にしている。彼は自分たちの立ち位置を知り、音楽という僕らの愛する存在にフォーカスしつづけることの大切さを教えてくれるんだ。

Rhadooは常日頃多くを語る性格ではないけど、彼が口を開く時は常に有益なアドバイスが得られる。彼にはどんなことでも訊けるんだ。たとえそれが音楽に関することじゃなくても、彼は常に智慧に満ちた答を与えてくれる。たとえば、音楽の制作について彼に意見を求めることはよくあるんだけど、「このトラックはどう思う？」って訊くと、彼は「このパーツを削って、ハイハットを別のものに変えてみなよ」と答える。Rhadooの提案は常に的を得ていて、実際に彼のアドバイス通りにするとクラブでプレイした時にその効果がはっきりと目に見えるかたちでわかるんだ。彼は経験豊富だし、ひとつの物事を多角的に捉えることができるんだよね。

バカウ出身では、他にどんなアーティストがいるのでしょう？　VincentIulianはバカウ出身ですよね。

そうだね。ちなみに、VIDもバカウの出身だよ。

バカウのシーンは、やはりZebra Clubを中心に繋がっているのでしょうか？

うん、Zebraからバカウの様々なイベントやクラブオーナーが育っていったといえるね。Zebraはモルダヴィア地方（ルーマニア中部）での有力プロモーターも兼ねている。バカウでは、Zebraがエレクトロニック・ミュージックのパーティを手掛けた最初のクラブだった。とはいえ、バカウのシーンにはさまざまな世代が入り交じっているけどね。RareshやZotistが第一世代で、その次が僕やDubtil。そのさらに下の世代にVincentIulianがいて、VIDは一番若い。だから、Rareshがブカレストへ移った後もDubtil、VincentIulianや僕はまだバカウに残っていた。VincentIulianもZebraでDJをしていたし、VIDも同様さ。やがて僕やDubtilがブカレストに移った後も、VincentIulianやVIDは依然としてバカウに残った。最近、VincentIulianはようやくブカレストに移ってきたけどね。そんなわけで、さまざまな異なるステージでバカウのシーンは移り変わっているんだ。とはいえ、ずっと変わらないのはZebraがみんなにとっての出発点であるということだね。

Zebraはルーマニア全体におけるエレクトロニック・ミュージック・シーンに対しても非常に重要な存在であるといえそうですね。

Zebraはきわめて重要さ。最近はバカウのシーンがあまり上手くいっていないという噂を聞くけど、悲しいことだよ。Zebraのオーナーたちには僕も多大なリスペクトを払っているけど、昨今は彼らにとって厳しい状況のようだね。でも、彼らは依然として情熱を持ちつづけているし、彼らは自分たちの愛することを続けていくはずさ。Zebraっていうクラブは、情熱の結晶のような場所なんだ。金ばかりを追っているオーナーがやっているようなクラブとは全く種類が異なるのさ。彼らはエレクトロニック・ミュージックの象徴でありつづけているんだ。特に、モルダヴィア地方ではね。

あなたは様々な場所で「音楽とは様々な感情の状態を運ぶための乗り物だ」と語っていますが、これについてもう少し詳しく説明してもらえますか？

僕が思うに、音楽とはヒーリング（癒し）のための手段なんだ。人々に聴覚というかたちで届けるエナジーさ。もちろん、誰もが僕の音楽に共感するとは思っていない。実際、このジャンルでも僕が共感できないプロデューサーは存在するしね。それは良い悪いということではなく、誰しも好きなものと嫌いなものはあるからね。僕の場合、最初はみんなを踊らせるってことしか考えていなかった。ドン・チ・ドン・チっていうビートでね。どこにでもありふれた単純なビートさ。それから、僕はもっとリアルで知性的なミニマル・ミュージックがあることに気付いた。でも、そこにたどり着くには沢山の音楽を聴く必要があるのはもちろん、沢山の人たちとコネクトしなくちゃならない。それが大事なんだ。自分の中からは決して発見できなかったはずのインスピレーションを得ることが出来るからね。その感情を音楽に注ぎ込むには長い時間や豊かな経験、そして忍耐が必要だけれどね。秘訣は、ひたすら辛抱強さを保つことと、自分のやっていることに集中するってことさ。

あなたの作る音楽は、数年前のあなたが作っていた音楽とはずいぶん変化してきたように思います。いったい何がそうさせたのでしょう？

より多くの音楽を聴いて、自分の中で新たなサウンドへの道筋が広がったからだと思う。若い時は、どうしても物事の多くの面にまで目がいかないものだからね。だから、若いうちはみんなを踊らせることで精一杯になってしまうのはある意味仕方ないことなのさ。でも、やがて自分自身についてより良く理解を深め、自分が本当に好きなものが分かってくると、よりディープかつメロディックで知的な音楽を作りたくなってくる。なおかつ、ダンスフロアーの人々を踊らせつづけることのできる音楽をね。これは明らかに進化と呼べるものだし、良いことだと思うよ。

最近のルーマニアから生まれてくるミニマルは、以前にも増して音楽的になってきているように思えます。もちろん、Pedroは常に高い音楽性を持ちつづけていますが、たとえば最近のMelodieやSIT、そしてあなたがMeterezeからリリースしている作品もどんどん音楽的な要素を増していますよね。

たしかに、音楽はただ心地良いリズムとグルーヴだけのものじゃないからね。クラブでしかるべきタイミングで僕らのようなトラックをプレイすれば、非常に効果的であると言えると思うよ。リズムの周りに装飾的な音色を載せるのは常に必要なことではないけど、グルーヴとベースラインがパーフェクトであればそれもおのずと機能しやすくなる。僕は自分で音楽を作るときに必ずしも明確なルールを設けているわけではないけど、このタイプの音楽を作るときには注意すべき点がいくつかあると思う。僕が実感しているのは、付け加えるべきではないいくつかの楽器があるってこと。あくまでリズムを主体にした音楽だから、必然的にそこでは機能しなくなる楽器があるんだ。

たとえば、サキソフォンなどでしょうか？

そうだね（笑）。でも同時に、僕は自分自身を硬直したルールに縛り付けているとも思わないんだ。僕は、メロディラインを付け加えることである特定の情感を引き出すことができる。メロディは、プロデューサーである自分自身とオーディエンスとの間の繋がりを得やすくしてくれるんだ。人々は、その音色に固有の作家性を見出すからね。Baby FordやThomas Melchior、Ricardo Villalobos、Vlad Caia、Cristi ConsそれにArapu ー彼らはみなそれぞれ素晴らしい独自のシンセやパッドの音色で作家性を際立たせていると思うんだ。メロディの存在は、そのトラックをより特別で美しいものにしてくれると思う。

では、ハウスに由来する音楽的要素はどのようなかたちであなたの作品に活かされているのでしょう？　たとえば、リズムはダンスという機能性のために存在するものですよね？

そう、リズムはダンスのためのものだ。だけど同時に、僕にとってリズムとは、人々に対して僕がその曲の中でやろうとしていることへ導くガイド的存在となるものでもあるんだ。ひとつのメッセージのようなものだね。シャーマンのドラムについて勉強してみると分かるんだけど、儀式の中心となるシャーマンの周りにはその補佐の役割を担う人たちがいるよね。彼らは一定のドラムループを演奏していて、シャーマンが様々なことについて吟じるときに人々の集中を保つ役割があるんだ。テケタッ・テケタッ・テケタッ... ってね（と言って彼はシャーマンのドラムを真似る）。これは反復のリズムが基本になっている。おこがましいと思われるかもしれないけど、僕の音楽も似たようなものなんじゃないかって思うんだ。反復するリズムの上で、様々な要素が出たり入ったりするっていうところがね。僕が常にリリースしたいと思っている音楽は、ループによる反復と特別な瞬間を組み合わせたものなんだ。このアイディアは、僕が立ち上げるMomentっていうレーベルのロゴデザインにも反映されているよ。らせん構造がループを示唆していて、そのループの所々に入ったひび割れた部分はその特別な瞬間を示しているんだ。

シャーマンの儀式は、身体と心、そして精神を癒すためのものだ。だから、できるだけ沢山の人とコンタクトして語りかけ、彼らがどんな問題を抱えているか、何故彼らが幸福を感じているのかといった事柄を見出せば、それをそのままスタジオに持ち込んで音楽に反映させやすくなる。僕が「儀式・旅・癒し」という3つの要素を自分のレーベルにおけるモットーとしているのはそうした根拠があってのことなのさ。

あなた自身のトラックによって人々が表す感情に驚かされることはありますか？　また、あなたがそのトラックを作った時の感情とまったく違う種類の感情を人々が感じることもあるのでしょうか？

もちろん。でも、僕が音楽を作る時は、リスナーの感情を操作しようとは考えていない。僕は自分自身の自然な感情に従っているだけだから。でも、願わくば僕のトラックを聴いたリスナーがそれぞれの自由な感情の世界で旅をすることができる余地は残しておきたいものだね。

必ずしも感情を明確化する必要はないということでしょうか？

そうだね。でも、これは簡単なことじゃない。僕は自分の作る音楽をなるべくシンプルにしておきたいと努めているからね。シンプルでありながらスペシャルなものを作るのはまったくもって簡単なことではないんだ。例えば、僕がMeterezeからリリースした「Marea Neagră」や「Fram, Ursul Polar」というトラックがあるだろ。この話はまだ誰にもしたことがないんだけど... 実はこの2つのトラックは、僕のガールフレンドの父親が僕の腕に抱かれて息を引き取った後に作ったものなんだ。僕はこの出来事に大きく感情を揺さぶられたけれど、泣くことはできなかった。とにかく僕は心をひどく痛め、ほんとうに大きな苦しみを抱えてしまっていた。そこで僕は自分に言い聞かせた。「そうだ、僕は何か自分にできることをしなくちゃいけない。スタジオに入って、今僕が抱えている感情を解放するんだ」とね。「Marea Neagră」を聴けば、そこに特別なサウンドがあることに気付いてもらえると思う。たまにこのトラックを耳にすると、今でも泣きそうになってしまうことがある。でも、これを聴いた人々はハッピーになってくれる。これは僕にとって喜ばしいことだ。僕の音楽はリスナーの感情を操作しようとしているものではないという証明でもあるからね。僕は、自分がトラックを作っていたときと同じ感情の旅をリスナーにもしてもらいたいわけじゃない。誰にでも、自分だけの感情の世界で自由に旅をすることが許されているのさ。

これほどパーソナルな感情のもとに作られた音楽を発表することについてはどう考えていますか？

良いことだと思うよ。もちろん、僕らは自分たちだけがプレイするためにキープしてある音楽がたくさんあるけど、僕自身は自分がアーティストであるという自負があるので、できるだけ多くの人に僕の音楽を届けたいと思っている。アーティストになりたいと思うなら、フォロワーやファンを手に入れたいと望むのは当然のことだ。僕は、フォロワーやファンの存在を僕の近しい友人たちと等しく自分のインスピレーションの源泉だと考えている。僕の音楽は、ただたくさん友だちを作って、自分がよい人間になるためだけの手段ではない。沢山の人々と心を通じ合うことができるような音楽を作らなきゃいけないんだ。だから、僕は自分のパーソナルな感情のもとに作られた音楽を世に発表することは良いことだと思う。こういう作品をリリースできてハッピーだと思うよ。僕のキャリアはどこで終わるか分からないけど、最後には何かしっかりとした痕跡を残したいからね。

「自分たちだけのためにキープしている音楽がある」と先ほどおっしゃいましたが、あなた方ルーマニアのDJはそうしたアンリリースの音源を以前から数多くプレイしていますよね。

RicardoやZip、Thomas Melchiorといったベルリンの人たちも同じようなことをやっているよね。お互いに近い友人で、それぞれ近いテイストの音楽を作っていればそうした流れになるのはごく自然なことなんじゃないかな。僕自身も、同じルーマニアのシーンに属する仲間たちとこうして音楽を交換したりシェアすることができてハッピーだし、誇りに思っているよ。

Meterzeからのリリースは、あなたのキャリアにおいて大きな転換点になったと思います。このリリースはどんな経緯で実現したのですか？

あのLPに収録されたトラックは、しばらくの間Rareshがキープしていたものなんだ。彼は特に「Marea Neagră」と「Fram, Ursul Polar」の2曲に強く惹かれていた。彼にこのトラック群を送った後、すぐに彼からMeterezeでこの作品をリリースしたいという返事が来た。実際にはヴァイナルになるまで2年の歳月を要したけどね。ちょうど僕は様々なスタイルを反映した音楽をリリースしたいと考えていた時期だったから、この『Variety Of Different Feelings』というタイトルが付けられたんだ。

あなたには決してリリースされることのないであろうトラックが数多くありますが、それらを聴くための唯一の方法はあなたかあなたの友人たちのプレイを聴きにいくしかないのですね。

これはトリッキーな領域でもあるんだけどね。僕は自分自身をDJだと考えているし、DJとしての僕の仕事の一部分は他のどこでも聴くことのできない音楽をプレイすることだと思っている。そうした要素がそのDJのセットをスペシャルにしていると思うしね。

あなたが自分の音楽を誰に送るかということについては、注意深く判断するのでしょうか？

そうだね。これは自分自身で体験した教訓に基づいている。現在、僕が自分の音楽を送る相手は5人だけに限定している。それでも、いまだに多くのクラブがDJに断りなくセットを録音していたりする場合もあるからね。まったくプロフェッショナルな行為ではないと思うけど。その録音されたセットから人々はトラックを切り出してプレイするって言うんだから、情けない話だよ。

現在はプレイ中のDJをビデオで録画している場面をよく見かけますよね。たとえばSunwavesのようなパーティでは、クラウドの中から無数のスマートフォンが掲げられていたり...

これも良くないことのひとつだよね。逆に、フロアーでのスマートフォンの使用を禁じているクラブもあるだろ？　こっちのほうがよっぽど健全だよ。なぜなら、これはアンダーグラウンド・シーンのアンダーグラウンド・ミュージックなんだ。どうしてわざわざビデオに残す必要があるんだ？　そもそもプライバシーってものを考えたことがあるんだろうか？

これから先数ヶ月、あなたはいくつかライブセットを披露する予定ですね。ライブセットについてはどのようにアプローチするのでしょう？

DJとはまた異なる表現手段が可能だという点で、アーティストにとってライブという手段は良いものだと思う。これから先数年、プロモーターからライブのオファーを受ける機会はより増えていくと思うよ。ライブをどう位置づけるかという点についてはRhadooにも相談していたんだけど、彼も僕と同意見だった。でも、個人的にはライブは特別な場所だけに限ってやっていきたいというのが本音かな。1年に4、5回ほど出来れば十分さ。また、来年からは実験的なライブセットを行うことも考えている。リスナーには今までとは違った体験をしてほしいなと思っている。とりわけ、クラブでドラッグを摂りながら聴く音楽としての新しい体験をね。

僕のアイディアは、実験的なライブセットにある種のスピリチュアル・ヒーリング的な性質を取り入れるというものなんだ。このライブは、フロアーに入れるお客さんの数を最大100人程度に限定して、できればみんなに同じ種類のドラッグを摂ってもらえればベストかな。そうすれば、みんなが同じトリップを体験できるからね。非常に真っ暗な場所で、良質なサウンドシステムと、ほんの少しの赤いライトがあれば充分。もしくは、自然に囲まれた野外でもいいね。適切なサウンドシステム、そして適切なドラッグがあればこの種類の音楽では素晴らしい体験を得ることが出来るんだ。もちろん、普段通りクラブに出掛けて、その時々で適当に手に入るドラッグを摂ってテクノやミニマル・ミュージックで踊るのもナイスだと思うよ。でも、人々は毎週こんなことを繰り返しているなかで、自分たちの周りでどんなことが起こっているか、どんなことを彼らがやっているかということを正確に把握できていないんじゃないかとも思うんだ。だからこそ、僕はドラッグで体験できる別の世界を見せてあげたいと思っているんだ。ディープかつさらに実験的で、知的で、もちろんスピリチュアルな体験をね。少なくとも向こう1、2年で僕がやってみたいと思っているのはそうした極めて実験的なことさ。もちろん、アナログ機材を使ってね。

前回あなたのDJを聴いたとき、あなたが作るトラックの構造がそのままDJにも引き継がれているようにも思えました。その時は3時間のセットでしたが、ブレイクと呼べるような部分は数えるほどしかありませんでした。ひたすらグルーヴだけが空間を支配し続けている、というか。

人々をダンスさせることは大事だし、そのためにはグルーヴこそが最大のツールだ。もちろん、人それぞれ好みはあると思うけど、僕らがプレイしているようなタイプの音楽はちょっとしたクセがあるものだから。僕自身も他のDJのプレイはなるべく聴くようにしているけど、どうやら彼らにとってはダンスよりも人々に叫び声をあげさせたり手拍子をさせることがよっぽど大事なことみたいだね。でも、僕らに関して言えば、より重要なのは知的なグルーヴとリズムなんだ。この音楽はあくまでも人々をダンスさせ、結びつけ、互いに友人としての仲を深めるためのものだ。決して、パーティで叫んだり騒いだりする目的のために作られたものではない。できることなら、人々に違った方法での音楽の楽しみ方を僕らが見せてあげられるといいね。