Deep Medi & Teachings In Dub - The Weekender

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  • 11月28日午前1時過ぎ、Trinity Centreは震えていた。ここ1年で飲食店やビジネスが相次いで開業しているブリストルの新スポット、オールドマーケット・ストリートの外れに位置する、教会を改修した会場Trinity Centreのことだ。体育館がすっぽりと入ってしまうほどの天井高を持つ広々としたフロアの両端に、2m50cmくらいだろうか、高々と積み上げられたスピーカーボックスから発せられる重低音の衝撃波が建物全体を揺らしていた。ビリビリとガラス窓が小刻みに軋んでいるのが分かる。Voidのロゴが入ったスピーカーグリルには、オレンジ色の下地に流線形でScotch Bonnetと記されたお馴染みのステッカーが貼られていた。この日から2日間に渡って震源地となるサウンドシステムを持ち込んだMungo’s Hi Fiのレーベルステッカーだ。ダブステップの先駆的レーベルDeep Mediと、ブリストルのルーツレゲエ/ダブシーンを牽引するサウンドシステムイベントTeachings In Dubが手を組み実現した祭宴The Weekenderの1日目、移動が困難になるまで混み合ったフロアは、かけていた眼鏡が白く曇ってしまうほどの熱気を帯びていた。特に低周波を直に感じることができるスピーカー前のエリアは一番の人気スポットと化していた。”感じる”と書いたのは、音の波動が肌を突き抜け五臓六腑に直撃するのをリアルな体験として味わうことができるからだ。 Teachings In Dubを主宰するDJ StrydaとサックスプレイヤーDigistepによるプロジェクトDubkasm、そして、Kahn & Neekとしてもお馴染みのGorgon Soundという、ブリストル発のダブサウンドを代表するふたつの世代が共にプレイした有意義な90分を経て、DJブースに立っていたのはKaijuとTunnidgeだった。共にDeep Mediからリリースしている彼らは、既にテンションが高まっていたフロアを相手に、攻撃的なベースラインを次々と畳みかけた。Mala “Changes”やBreakage “Hard”といった往年のトラックを織り交ぜていたが、とりわけ、Killa Pによる感情を押し殺したラップが飛び込んでくると会場は怒号に包み込まれた。オーディエンスは知っていたのだ。その後、The Bugのヘビーなワンドロップに乗ってFlowdanの低域ボイスが”Skeng”と繰り返すのを。ウォブリーなベースからチェーインソーベースまでプレイした彼らと比較すると、続くCommodoとKahnによるセットはアグレッシブながらもより瞑想的な雰囲気を会場にもたらした。キックのようにアタック感のある硬質な低域に身体を打ち付けられていると、”Percy”でお馴染みのボイスサンプルを異なるリディム上で使用したトラックがプレイされた。もちろん、それをフロアに投下したのはKahnだったのだが、この時、サンプリングネタだけでも十分にアイデンティティを示せることを彼は証明してくれた。今年、彼らとGantzがDeep Mediから発表したコラボレーションLP『Volume 1』の収録曲もプレイされ、メディアがダブステップから離れていった後も脈々と生み出され続けている現在進行形のサウンドの一端を味わうことができた。 そして、この夜を締めくくったのはDeep Mediの首領Malaと、彼と何度も共演しているGoth Tradだ。ダークでサイバーなシンセを使ったものや、ボーカルを乗せたトラックがプレイされるたび、ワイルドさを増して踊り狂うオーディエンスがぶつかってきて、何度も持っていたビールをこぼしてしまうことになったが、ふたりは上モノが少ない重低域中心のトラックを要所に織り交ぜ、叫び声が上がるでもなく、低域の衝撃に黙々と身を任せる、まさにベースメディテーションと言うに相応しい空間も生み出していた。5時になり、Goth TradのDeep Mediデビュー作である”Cut End”でセットが締めくくられた。フロアを埋め尽くしていたオーディエンスに対し、Malaは自らマイクを握り次のように語った。「次が今夜最後のトラックだ。明日また会おう」。すると、教会の面影を残す会場内に叙情的なメロディがこだました。Goth Trad ”Babylon Fall”のイントロだ。Max Romeoの歌声が司祭のごとく高らかに響き渡ると、フロアを埋め尽くしていたオーディエンスはそれに合わせて大合唱。第一夜は盛況の内に幕を閉じた。 ダブステップを軸にして、地域/世代を超えたそのサウンドの広がりと変化を提示していたのが1日目だとするならば、Jah Shaka、Congo Natty、Channel One、そして、再びDubkasmとMalaがラインナップに名を連ねた2日目は、サウンドシステムという文化から派生したサウンド(ダブ、ジャングル、ニュールーツ、ダブステップ)を通じて、その根底に流れる共通の価値観を感じられる場になっていたと言える。 午後10時過ぎ、開場したばかりで人もまばらなフロアには硬質なステッパーズが轟いていた。1日目の攻撃的で時に怪しげなシンセ/サンプリングサウンドに代わり、オルガンやピアニカ、管楽器など、暖かく有機的なサウンドがTrinity Centreのがらんとした空間を漂っていた。「90年代UKダブ」と題しDJブースに立っていたDubkasm。DJ Strydaによりセレクトされる7インチにDigistepがSEやライブエフェクトを織り交ぜる様は、まるで会場そのものをダブの最重要ファクターである「間」として捉えているかのようだった。しばらくして人の流れができてくると、いつものようにDJ Strydaがトースティングを始めた。「完全にヴァイナルだけ」、「混じりっ気無しのアセテートサウンド」と自らの哲学を説きながら、ビート感を徐々に増していき、そこへDigistepが即興演奏でサックスを重ねていく。その後、DJ Strydaからマイクを引き継いだRas Kaylebが野太く力強い声でオーディエンスを煽りながら、ルーツの流れを引き継ぐMikey Dreadのセレクションがスタートした。Red Bull Culture Clashの覇者であり、UKサウンドシステムシーンを代表するChannel One Sound Systemのふたりだが、この日はMungo’s Hi Fiのサウンドシステムでプレイし、ワンドロップとステッパーズを使い分けて緩急をつける貫禄のパフォーマンスを披露した。 午前1時、1日目のすし詰め状態に比べて程よく混み合ったフロアの空気が一変した。「声をあげろ! Malaの出番だ」。Sgt Pokesの咆哮と共に、素材を削ぎ落して骨格を剥き出しにした鋭いダークガラージが会場を切り裂いた。「2004 – 2008セット」のテーマに呼応する、ダブステップ黎明期のエッセンスを存分にセット序盤へ盛り込んだMala。そこからLoefahによるタイトで力強いハーフステップトラック“Disco Rekah”へとシフトした時、DMZのホストMCとして名を馳せるSgt Pokesがその強烈な存在感を示した。イントロ部のボイスサンプルに重ね合わせてPokesが「Rekah Discotheque !」とシャウトし、ウォブリーなベースラインが投下されると、フロアは制御不可能な状態に。以降、ベースラインが時に大きく、時に小刻みにうねりをあげながら、残りのセットを一気に駆け抜けた。 1日目の狂騒を取り戻したかのようなフロアだったが、その雰囲気は再びがらりと塗り変えられることになった。続くCongo Nattyが1曲目にBob Marley “Redemption Song”をスピンしたのだ。「ジャングルをプレイする前に、ダブに対して敬意を払いたいと思う」と彼はオーディエンスに語りかけた。そして、The Revolutionaries “Kunta Kinte”をプレイし、その後、その牧歌的なメロディをサンプリングして制作した同名のジャングルトラックへと移行した。盟友Iron Dreadによる流れるようなディージェイに加えて、途中、Solo Bantonが参加するというサプライズも。荒れ狂う高速ブレイクビーツを経て、最後に再びBob Marleyの”Let’s Get Together”をプレイしピースフルにセットを締めくくった。そして遂に登壇したのがJah Shakaだ。ルーツサウンドに根差し、UKサウンドシステムカルチャーに多大な功績を残してきた彼が、この文化の礎となった音楽を次々とオーディエンスに浴びせかけた。それはこの2日間でプレイされてきたサウンドすべてに通ずる、まさにルーツであり、ダブという音楽の奥深さを改めて感じさせるものだった。彼がThe Weekenderのトリを務めたことで、各出演者の点と点が繋がったとでも言えるだろうか。 英音楽ジャーナリストLloyd Bradleyが「コミュニティの鼓動」と称したサウンドシステムの現場は、半世紀以上前の誕生当時とは時代背景が異なるものの、現在も共有の場として機能している。そこではサウンドシステムの強力な重低音を通じて鳴らされる音楽と、その音楽にまつわる人々、文化、価値観が”るつぼ”のごとく劇的に混ざり合う。そのことをThe Weekenderは見事に体現していた。しかし、リワインドのたびに沸き起こる歓声、ビッグチューンに合わせた大合唱、コール&レスポンスなど、お約束的空気に対する不満を筆者に延々と語って、早々に会場を去った人がいたことも記しておかなければならない。そうした行為がお約束となるのは、コミュニティ内で共有が生まれていることの裏付けである一方で、そこに同調するかどうか、もしくは、帰属意識を持つかどうかは、人によって分かれるところだろう。とはいえ、重低音に身を委ねることで得られる衝撃はサウンドシステムという現場特有の有無を言わせぬ絶対的な体験であり、コミュニティ云々といった文脈に左右されることのない魅力を持っている。そうした現場体験を通じて立ち上がってくるバイブスのようなものによって、現場で機能するサウンドかどうかの判断基準となる音楽観が形成される。そして、その音楽観に基づいて様々な形に発展してきたのが、この2日間でプレイされ会場を揺らし続けたサウンドの数々なのだと思う。今後も引き続き発展を続けるサウンドは、これまでとは違う形で派生していき、再び現場を揺らすことになるのだ。The Weekenderはその発展サイクルの歴史を2日間に濃縮して提示してくれた。
RA