Rrose - Having Never Written A Note For Percussion

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  • アメリカ人コンポーザー、James Tenneyが"Having Never Written A Note For Percussion"のスコアを書いたのは、葉書の裏だったそうだ。この作品の演奏者に与えられる指示はあまりにもシンプルだ。「何かしら打楽器を長時間叩くこと。静かな状態から可能な限り音を大きくしていって、再び静かな状態に戻ること」。たった、これだけだ。 このLPで、Rroseは同作品を2回演奏している。どちらも約30分間のレコーディングで、32インチのゴングを使って演奏されている。それは身体的に大きな負担を求められる演奏だ。最初に収録されているのは、ドライで比較的ソフトな印象のスタジオレコーディングだ。このレコーディングでは楽器(ゴング)の揺らぐサウンドに焦点があてられている。最初は低周波の唸りから始まり、次第に立ち昇る複雑な倍音へと変化していく。この作品は一直線にピークに至るわけではなく、何度も微細に変化しながらほとんど知覚できないレベルで強度を増している。力強く質感があり豊潤。実に素晴らしいレコーディングだ。 ふたつ目のバージョンはワシントンDCにある閉鎖された地下鉄駅Dupont Undergroundでライブレコーディングされたものだ。こちらでは「空間の鳴り」が焦点となっている。すなわち、楽器が埋めることのできない空間だ。マイクは楽器からさらに遠くに設置され、巨大なコンクリートの壁からの反響音がレコーディングを支配している。スタジオレコーディングの時のようなスムーズで波打つ上昇感は消え去っている。そこにあるのは暗くひどく脅すようなサウンドだ。足音、吹き抜け階段に響き渡る交通音、そして、不意に音を立てるドアも、ゴングと同様、作品の一部となっている。スタジオレコーディングと比べると容易に理解されるものではないが、その魅力は一切劣っていない。 本作では省かれているが、Tenneyの作品のタイトルでは"Koan: Having Never Written A Note For Percussion"と書かれていることが多い。この公案(Koan)を非常に簡単に説明するならば、禅宗の教えで師が修行者を試すために与える謎に満ちた逸話、問答のことである。原則として公案はハッキリとした回答を持たない。公案は、反芻、疑いを喚起し、悟りの境地に至ろうとするためのものである。 前述の指示に対するTenneyの言葉選びは非常に優れている。この作品を演奏するための決まったやり方を示しているわけでもなく、目指すべき完成形を定めているわけでもない。代わりに彼のシンプルな指示によって切り拓かれるのは、金属が叩かれることで生まれるヒプノティックな性質と、楽器と楽器を設置した部屋の両方から立ち現れ絶え間なく変化する音の減衰を映し出す空間だ。打楽器を千回叩いた音がぼやけていきひとつのサウンドへと変化する。演奏者、楽器、そして、その部屋がひとつになるのだ。 禅宗の修行者が全身全霊をもって公案に思考を巡らせねばならないのと同じように、Rroseも素晴らしい忍耐力と献身性をもって肉体と精神の両面からこの作品に挑んでいる。その結果、左右非対称のハーモニーの中を昇降しながら、これ以上にない美しさと複雑さを生み出している。
  • Tracklist
      A1 Having Never Written A Note For Percussion (Studio Version) B1 Having Never Written A Note For Percussion (Live At Dupont Underground)
RA