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  • 「みんなは何もかも知っている」。先週、Pitchforkに掲載されたインタビュー(英語サイト)で、Richard D. JamesがPhilip Sherburneにそう語った。「音楽ファンにとっての究極というのは、俺が思うに、俺たちに一切影響を受けていない他の惑星からやって来た音楽を聞くことだ」。Jamesは他の惑星からやって来たわけではない。テクノ、UKレイブ、アヴァンギャルド、クラシック、ジャズ、プログレッシブ・ロック、ポップ、他にも膨大な要素が彼の作品には取り入れられている。しかし、20年以上に渡ってAphex Twinは我々の期待に応えながら、音楽の外側にある音楽へと我々を近づけてくれた。これにより、彼は全ての分野における音楽ファンにとって畏れられる存在となっている。古い格言に「無関心を装うことが、抗えぬ力の境地に至る最も確実な方法である」とある。しかし、世捨て人のような半匿名的な彼の振る舞い、ぶっきらぼうなインタビューの受け答え、2001年の不可解なダブル・アルバム『Drukqs』以降、Aphex Twinの作品が止まっていること、こうしたJamesの奇妙なペルソナが、彼の魅力の中心にあるものだとは思えない。音楽的に一貫し、切迫した魅力を持っていながら、真に実験的であるアーティストの作品を聞く喜び—つまりシーンやトレンドを超越している存在であることこそ、彼の魅力なのだと思う。Jamesの音楽を聞いていて彼らしさを感じることがあれば、それは何かを初めて聞くという体験をしていることに似ているのだ。 Aphex Twinの帰還作『Syro』は2014年に発売された。おそらく今年のベスト・アルバムとなることだろう。しかし、そんなことは付随要素でしかない。今年、昨年、一昨年と、本作はどの年の音楽とも似ていないのだ。エレクトロニック・ミュージック・プロデューサーの間でアナログ機材が再燃していることに連動した昨今の音楽的な発展にも、本作は当てはまらない。『Drukqs』以降、相当な数の変化がダンス・ミュージックには起こっているが、本作はそうした変化にも全く触れていない。本作のために世界中で段階的に展開された奇妙なプロモーションや、カムバック的なオーラ、そうしたことばかりで音楽そのものに関心が向かっていないことを見ていると、Daft Punkの『Random Access Memories』と並行して本作を語りたくなってくる。しかしヒット作『Random Access Memories』が回帰的だったのに対し、『Syro』はハッキリとどこかの方向を見つめているわけではない。仮に本作がAFXの新作に聞こえなかったとしても、それはおそらくJamesの仕業なのだろう。なぜなら、このアルバムがどのようにして生まれたのか、そして何故生まれたのか、ということは問題とされていないからだ。 「どのように」ということに関して紐解いてみるのは比較的簡単だ。Jamesはインタビューで、『Syro』は数々のスタジオで何年もかけてレコーディングしたものだと語っている(彼は自身の多用な制作環境を「数々のスタジオ」と呼んでいるが、こちらを見て判断するに、おそらく「数々」と言ってもいいほど膨大なのだろう)。この点は、ワイルドな多様性というよりも、徹底的に突き詰められた制作クオリティによって証明されている。『Syro』は自由で遊び心がある。しかし、さえずるようなサウンドや制作の極左ぶりが、長年もかけて磨かれた熟練の技と注意深さを示している。捻りの効いた印象的なアレンジという点で言えば、あちこちで聞くことが出来る。トラックは徐々に変化し、加圧され、再び形成されていく。しかし、決して崩壊することはない。この過程が自然の摂理に従っているとするのであれば、完全に予測不可能なものに従っているということだ。この点で最も鮮烈な例となっているのは"CIRCLONT14 (shrymoming mix)"だろう。この曲はひんやりと儚いアシッド・トラックとしてスタートし、生演奏のように聞こえるリズムが追加される。ソールド・アウトとなったWembley Stadiumでのライブ公演でのサウンドから毟り取られたように抜け出してくるドラムだ。トラックは素早く構築されると同時によろめいている。ぐちゅぐちゅと音を立てるベースが折り重なっていき、ぎこちないグルーヴのリズムは完璧に計算されたタイミングで鳴らされている。そしてアレンジメントを削ぎ落とすと、か細いパッドが神経質なサウンドを奏で始め、その後シンセが悲鳴をあげる中、一気に全要素が放出される。リード・パートは上昇しているにも関わらず、このトラックの根底に流れているメロディ要素はスケールを下げている。その2つのメロディが1つなっていくにつれ、デチューンされていき、崩壊を繰り返し、トラックの展開がバラバラになっていく中、急激な悲しみと愉快な感覚が同等にトラックに吹き込まれてくる。何度もこのトラックを聞いているが、今でも驚かされる場面がある。確かに何度も聞いているのに、本当に聞いていたのかと疑ってしまうほどだ。 ライブ・パフォーマーが活用しそうな魅力的なアレンジによるこうした大きな展開がJamesの売りだが、1つ1つMIDI接続してシーケンスを組みながら作業をすることを考えると、この点は決してバカに出来ない。本作でJamesは、なんとも奇妙な組み合わせを生み出している。"XMAS_EVET10 (thanaton3 mix)"では、音程のずれたピアノ、ウィンド・チャイム、タブラ、ハープシコード、もつれ合うベースライン、そして文字化けしたかのようなバック・シンガーのコーラスが、様々な場面で駆使されている。全てのサウンドには少なくとも合成感があるが、決して出来合いのものではない。『Syro』では、サウンドを詰め込んでいるように聞こえる場面もあるが、大部分では、Jamesは少量の素材で制作している。シャッフルするラウンジ的ヒップホップ・トラック"produk 29"では、リバーブの効いたドラム、流れるようなベースライン、そしてストリングスのアンサンブルへと形を変えられたヘビーなシンセ以外には、それほど素材は用いられていない。本作の最後、ため息を漏らしそうになる"aisatsana"に至っては、近距離でマイキングしたピアノ、テープ・ヒス、鳥の鳴き声がフィーチャーされているくらいだ。Aphex Twinのアレンジメントで、多くの素材がリード・パートとして使われている点は、ジャズのアンサンブルに似ているが、これにより本作での圧倒的な効果が生まれている。Jamesのサウンドがこれほどまで非の打ち所なくエディットされたことは今まで無かった。"4 bit 9d api e 6"では、従来のうねるベースラインとジューシーなシンセの間をリード・パートが潜り抜け、その周りに数々のドラムが絶え間なく発射されて構築されるリズムが、瞬間的で完璧なバッキングを形成している。 今回、Jamesがエレクトロニック・ミュージックの傑作を我々に届けてくれたことに疑いの余地は無い。しかも、彼のディスコグラフィーは既に比類無きものだが、その中でも突出した作品なのだ。今年の前半に発掘されたCaustic Windowのアルバムのように、比較的知名度の低いRichard D. James名義での作品でさえ、リスナーが没頭する時間を保証している。現代的スタイルや音楽観に影響を受けていない作品は、それだけで普遍的と言える。そして『Syro』がそうした作品だと言いたいところだが、音楽というものはそもそも超越的なものになれるのだろうか?Jamesは最近のインタビューで、Aphex Twinの新作を発表するのは、単純に世界に向けて準備が整ったと感じたからだと語っていた。決して、世界の準備が整ったと感じたからではない。ここに筆者は一種の居心地の良さを感じる。この作品に深く潜り込むほど、作品の立ち位置について心配しなくなっていく。そして、ますます我を忘れ、自分の周りで組み合されていく奇妙なサウンドと一体化したくなるのだ。
  • Tracklist
      01. minipops 67 (source field mix) 02. XMAS_EVET10 (thanaton3 mix) 03. produk 29 04. 4 bit 9d api+e+6 05. 180db_ 06. CIRCLONT6A (syrobonkus mix) 07. fz pseudotimestretch+e+3 08. CIRCLONT14 (shrymoming mix) 09. syro u473t8+e (piezoluminescence mix) 10. PAPAT4 (pineal mix) 11. s950tx16wasr10 (earth portal mix) 12. aisatsana