パレスチナ当局に拘束されていたテクノDJのSama' Abdulhadiが釈放される

  • Published
    Mon, Jan 4, 2021, 10:50
  • Words
    Resident Advisor
  • Share
  • ウェストバンクで開催されたイベントでのプレイ後ジェリコ刑務所に拘束されていた彼女の解放を求め、10万人以上が署名した。
  • パレスチナ当局に拘束されていたテクノDJのSama' Abdulhadiが釈放される image
  • ウェストバンクのモスク付近で開催されたイベントに出演した後、パレスチナ自治政府に身柄を拘束されていたパレスチナ人DJのSama' Abdulhadiが、拘束から8日後に釈放された。 SAMA'名義で活動するAbdulhadiの即時釈放を求めるキャンペーンには、10万人以上が署名した。彼女はBeatportが依頼した全4回からなる動画シリーズの一環で、ジェリコにあるナビー・ムーサ(預言者モーゼの墓とされる場所)でイベントをホストし、そしてパフォーマンスしていた。撮影は現地時間で12月27日の午後3時半からナビー・ムーサで開始され、約30人のオーディエンス(そのほとんどがマスクを着用)がいたと、Abdulhadiの兄SeriがResident Advisorに明かした。プライベートイベントで、一般チケットは販売されていなかったという。 パーティー中の動画がソーシャルメディア上に浮上するとすぐさま、アルコールや薬物の摂取、さらには女性が裸で踊っているといった誤った情報が拡散され、非難の声が溢れた。また、ソーシャルメディア上には、イベントがモスクの建物内で開催された(これが冒涜的な行為にあたる)という誤報まで投稿された。実際のところ、ナビー・ムーサの敷地は2つに別れており、1つはモスクと聖廟がある信者のためのエリア、もう1つのエリアにはホステルやバザールがある。イベントは後者で開催された。 午後7時40分、Abdulhadiが最後から2曲目のトラックをプレイしていた時に、10人前後の男が会場内に乱入し、宗教的な空間に相応しくない行為だとして主催者と参加者にその場を離れるよう命じた。中には警棒で武装したり爆竹を投げつけた者もおり、彼らは音響機材を押し除けたという。ただし、参加者への暴力行為はなかったとのことだ。主催者は機材類をまとめ会場から立ち退いた。彼らが帰宅する頃には、騒動がソーシャルメディア上に拡散されていたという。翌日、警察がAbdulhadiの自宅を訪れた。SeriとSama'は簡単な会話で済むと予想していたが、その後Sama'は検事総長局へと連行、拘束された。現時点で、彼女以外に拘束されたパーティーの関係者はいない。 12月29日、検事総長はAbdulhadiの拘束期間を15日間延長。宗教的な施設の冒涜行為と、COVID-19パンデミック中のイベント開催による健康プロトコル違反という2つの容疑の捜査を保留した。SeriはRAに対し、Sama'はパレスチナ観光庁からイベント開催に必要な許可を取得していたと明かした。Abdulhadiの家族が公開した書類には、観光庁がイベントを承認しただけではなく、エレクトロニックミュージックがプレイされることをはっきりと認めていたことが示されている。Beatportによるステートメントもまた、「完全に認可・許可されたプライベートイベント」だったと主張していた。 そして拘束から8日後、500ヨルダン・ディナール(約7万2000円)の保釈金を支払い、Abdulhadiはジェリコ刑務所から釈放された。しかし、今後起訴された場合は2年間の懲役が課せられるほか、捜査中はパレスチナ自治区の外に出ることを禁じられている。 「私は無事で元気です。私の状況をサポートし声を上げ、釈放を求めてくれた皆さんには感謝します」と彼女はステートメントの中でコメントする。「仲間のミュージシャンやアーティスト、アクティビスト、そして音楽コミュニティ全体から頂いたサポートに圧倒されました。私はこんなにもサポートされているんだと感じさせてくれた全ての人にお礼を言いたいです。今はただ、家族と共に過ごしたいと思っています。」Beatportが公開したステートメントはこちらから。 13世紀に建てられたナビー・ムーサは複雑な歴史を持つ。2019年に文化施設として開放され、オープニングセレモニーでムハンマド・シュタイエ首相は、パレスチナ内外から年間数千人の観光客がこの場所を訪れることを願っているとコメントした。ナビー・ムーサが宗教施設だけではなく、観光・文化的空間として明白に指定されているという事実があっても尚、そこでエレクトロニックミュージックをプレイするのは冒涜的だと多くのパレスチナ人が抗議の声を上げた。(尚、同施設で音楽イベントが開催されたのは今回が初めてではない。)12月28日には大勢の人が集まり、建物の神聖さを守るために祈りを捧げた。 パレスチナ自治政府によるウェストバンクでのエレクトロニックミュージックイベントの禁止に関しては長い歴史がある。その理由の1つには、エレクトロニックミュージックが“西洋の音楽”であり、それ故イスラエルとイスラエルによる占領にも関連しているという一般認識がある。検事総長がAbdulhadiの拘束を延長した理由の中には、「テクノミュージックはパレスチナの伝統ではない」というものがあった。Abdulhadiの音楽の魅力は確かにパレスチナの外にも伝わっているが、それが彼女の作品がパレスチナの伝統に反することにはつながらないと、Seriは主張する。「理屈から言えばバイオリンもピアノもパレスチナの伝統ではありません」と、彼は語る。「もし音楽において純粋なパレスチナの伝統という話をするのであれば、ヒップホップやオーケストラさえダメということになります」 Abdulhadiはパレスチナでも有名な家族の出身であり、彼女の祖母は著名な作家/フェミニストだった。この数日間でAbdulhadiに向けられたネット上のコメントの多くは、彼女の外見に焦点が当てられている。「もし彼女が男だったら、彼女に対する社会の扱いは違っていたはず」と、パレスチナのシーンの匿名情報源はコメントする。「家父長制社会の中で彼女がサウンドエンジニアをしているという事実は、彼女が規範を破っているということを意味します。彼女は自分の音楽で、周囲のあらゆることに立ち向かっているのです」 Sama'の一件は、パレスチナの伝統の気質、西洋文化の影響、そしてパレスチナ自治政府の欠点など、パレスチナにおけるより大きな政治的、社会的議論の焦点となった。観光庁がイベントを承認したにも関わらず、施設の保護を担当するイスラム基金庁に通知しなかったという指摘もある。貧困の拡大とパンデミックへの対応の遅さなどにより、政府の信頼度は現在低迷している。 「彼らは、我々の規範から外れたイベントを開催したことでSama'をスケープゴートにしているんです」と、前述の情報源は続けた。「でも、人々が政府のやり方に満足していないという問題が根底にあります」 パレスチナのシーンにおけるカルチャーオーガナイザーでありRadio Al Haraの共同創設者であるYazan Khaliliは、Abdulhadiの拘束や白熱する議論はよくある話だと語る。「音楽が西洋っぽすぎたり、地元民にとって実験的すぎたりすると、コミュニティは攻撃します」と彼はコメント。「そしてパレスチナ当局はこちらを守るのではなく、攻撃に加わる。パレスチナ当局の基準が不安定なため、自分が法によって統治されたコミュニティにいると信じることができなくなります。法は民意によって動くものであってはなりません」 SAMA'とパレスチナのエレクトロニックミュージックシーンについては、こちらの特集記事をチェック。
RA