90年代初頭にDJとしてのキャリアをスタートさせた井上薫は、94年以降、コンスタントに作品をリリースしてきた日本のダンス・ミュージック・シーンのベテラン・プロデューサーだ。ワールド・ミュージックに精通し、クロード・レヴィ=ストロースやガルシア・マルケスの著作を通じて、神話や野生への憧れを膨らませながら、2002年にChari Chari名義で発表した「Aurora EP」ほか、オルタナティヴなハウス・ミュージックをダンス・フロアに提示してきた。そんな彼がKaoru Inoueとしてリリースしたサード・アルバム『A Missing Myth』は、ヴェルナー・ヘルツォークの映画『忘れられた夢の記憶』を1時間のサウンドに凝縮したかのような、時空の揺らぐリスニング体験を味わうことが出来るはずだ。

最新の音楽テクノロジーと太古の昔から受け継がれてきた民族音楽の組み合わせから、失われた神話を未来に向けて紡ぎ出すという、このアルバムのパラドキシカルなテーマが非常に興味深く感じました。

まず、2000年代以前は音楽を作って、それをCDにしてリリースするという行為が音楽家にとっては普通のことだったと思うんですけど、今、その意義自体が揺らいでいますよね。そんななか、音楽制作を続けていた自分にも「アルバム制作って何だろう？」と思い立ち止まる瞬間があって。そこで自分は、アルバムという枠組みを人間の集中力が持続する1時間程度のフォーマットとして好意的に捉えて、そのなかで完結する何かを形作りたいなと改めて思ったんです。しかも、それをDJの観点というより、自分の文学趣味的な観点からアルバム1枚を短編小説のようなものとして捉えてやってみたかった。

その発想が各曲をDJミックスのように、シームレスに繋ぐことで、一つの流れ、物語を生み出す今回のアルバムの形態に繋がったわけですね。では、その流れや物語の起点というのは？

東日本大震災はどんな人であっても何らかのショックを受けた経験だったと思うんですけど、自分も色んな意味で衝撃を受けたし、それ以前以降で社会の捉え方が変わって、社会や政治の暗部に無関心だった人たちが声をあげるようになったという意味でも日本社会の分岐点になった。そうした状況下で音楽家として何を提示するべきなのかを考えていた時、チャリティー・コンピレーション・アルバム『BPM JAPAN CHARITY ALBUM』への参加をオファーされたんですね。そこで作ったのが新しいアルバムにも収録されている"Ramafar"っていう曲なんですけど、その辺りから見えてきたアルバムの題材が「神話」だったんですね。

それはどういった意味での神話なんですか？

神話というのは、まず、人類学だったり、考古学に長らく惹かれてきた自分の趣味的な発想だったりもするんですけど、ポスト・モダン以降であっても、例えば、恋愛なんかがそうだけど、人間は物語性を避けがたく求めてしまう生き物であって、さらにいえば、文化人類学において、神話というのはあらゆる物語の原型だといわれていて、天体の運行から何かを読み取ったり、土地の成り立ちや自分たちが何故いまここにいるのかといったことを言葉で説明付けようとした動きがいま神話として残っているわけでしょ。自分が作っているような言葉のない音楽も、作っている時の観念的な世界がもとになっていて、自分はそれに対して言葉でコンセプトを与えることで作品をまとめあげている。

つまり、それが神話を創造しているようでもある、と。

そう。それと同時に、この作品では神話のようにその世界の成り立ちに音やコンセプトを与えるのではなく、時間軸を反転させて、未来の神話を創造するかのように幻視した世界のその後を音やコンセプトで表現して、それを1枚のCDに収めてみたら面白いんじゃないかと思ったんですね。もちろん、そこには震災以降の「暗い状況であっても立ち上がらなければいけない」という自分の思いであったり、「一回何かが破綻したら、再生していくのみだ」という希望も重ねたつもりなんですけどね。

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「失われた神話」というアルバム・タイトルからは、例えば、日本においては安全神話が失われた原子力発電所を思い浮かべるリスナーも多いでしょうし、溢れる情報や科学万能主義によって想像力や物語性が失われつつある現代社会の有りようだったり、様々な捉え方が出来ると思うんですね。

そういうことを投げかけざるを得ない状況は確かにあると思いますね。質量が失われた情報が飛び交う状況は殺伐としているように感じられるし、DJの現場で会う若い子のなかにもトレンドという情報に翻弄されている子がいたり、今の世の中、過剰な情報によって想像の余地がなくなってきているように思うんですね。

確かに、ジャンルが細分化したことによって、そのジャンルの狭い世界に想像力が押し込めれてしまっているケースが少なからずありますよね。

以前は名付けられていない音楽に言葉やジャンルが与えられることに対して、発展的な意味で好意的に捉えていたところもあったんですけど、今はそうした行為が自分のイマジネーションやクリエイティヴィティを狭める方向に向かっているという危惧を感じるんですね。

そうした状況に対して、この作品は民族音楽から、ハウス、テクノ、アンビエント、ドローンまで、多面的なダンス・ミュージックを包括的に扱っていますよね。

結局、自分の音楽体験は80年代にやっていたパンク、ニューウェイヴ・バンドからどこまでも広がっていますからね。だから、ダンス・ミュージックやクラブの現場にこだわりを強く持ちはじめてから、ダンス・ミュージックの本流から外れているという意識がずっとあって。もちろん、脈々と流れるダンス・ミュージックの本流とその歴史に対して敬意は払っているつもりなんですけど、特に90年代までのダンス・ミュージックにはある種の厳格さがあったと思いますし、自分はその外側のオルタナティヴな視点から音楽を作る面白さに突き動かされて、ここまでやってきたんです。

このアルバムを含めた、Kaoru Inoueのどこがオルタナティヴかというと、広く民族音楽をダンス・ミュージックとして捉えて、その影響をトラックに落とし込んできた点にあるかと思うんですが、そもそも、民族音楽に傾倒したきっかけは？

80年代にバンドをやっていた頃、自分は逸脱、屈折したギター・プレイが好きだったんですけど、そのバンド仲間からギターが3台いて、Steve Reichのように、ミニマルなフレーズを延々弾き続けている中央アフリカの音楽を聴かされて、全く知らない音楽が世界にあることを知って。その後、DJを始めたり、サンプラーで曲を作るようになった時、新たなソースとして、そうした音楽を掘っていくようになったと同時にレコード・ショップでワールド・ミュージックのバイヤーになったことでさらにのめり込んでいったんです。ただ、ジャカルタでの買い付けを含めて、海外はインドネシアやマレーシア中心で、アフリカも行ったことがないし、南米はブラジルに行ったくらい。ただ、80年代末から90年代頭にかけての東京は経済的に潤っていたから、今となっては貴重な非欧米アーティストのライヴを頻繁に体験することが出来たんですね。だから、その時代に観たライヴ、膨大に買ったレコードが今でも自分に影響を及ぼしているという。

なるほど。

そして、昔から、行ったことも、見たこともない土地や文化、時代に惹きつけられてきた自分がいて。20代以降、クロード・レヴィ=ストロースやそれ以降の文化人類学、幻想小説や南米文学にハマって、膨大な文字情報だけで脳内世界を探索する時期が何度となく波のようにやってきて、今もまた渦中にいるんです。そして、このアルバムを作っている時もペルーの作家、マリオ・バルガス・リョサの『密林の語り部』（原題：El habador）を久々に手に取ったら、ものすごく面白くて、そこから受けたインスピレーションで"Selva"って曲を作ったんですよ。特にガルシア・マルケスに顕著ですけど、南米文学は世界の描写がとにかく過剰じゃないですか？『百年の孤独』なんかは日本とは生活様式が全く異なる文化や幻覚のような出来事を交えて、一族の100年に渡る歴史が綴られているし、音楽を作る際のインスピレーションとしては最高だと思いますね。

「自然の営みとして何百年も何千年も行ってきた
踊るという行為の崇高さに改めて気づかされた」

ダンス・ミュージックの世界でも、例えば、チリ出身のRicardo VillalobosやLucianoは、非西欧的な思考や感性が新鮮な響きに変換されていますしね。

そう。どちらも好きなアーティストなんですけど、南米出身のアーティストをピックアップしているLucianoのレーベル、Cadenzaでは、最近だとチリ出身のFelipe Venegasが面白かったんですね。チリはこちらの想像以上にヨーロッパナイズされている一方で、彼の音楽には明るいのか悲しいのかよく分からないインディオ音楽の感覚がところどころに入り込んでいて、そういう環境に影響された音楽にはすごく惹かれるんですよ。そして、もちろん、日本人である自分が作っている音楽も海外の人が聴けば、音の湿度や緻密さ、あるいは間の取り方だったり、展開だったりから、日本人特有なものが感じられるんでしょうし、自分で音楽を作っている際にも日本の特性は強く意識せずとも頭の片隅には常にありますね。

日本の風土ということでは、井上さんはDJで日本各地を回りながら、空いた時間でその土地土地の歴史的なパワースポットにも頻繁に行かれているとか？

そうですね。DJで地方に行くと、その土地に誇りを持っている人たちが思った以上に多くて、どこからか自分がそういう聖地を好きなことを聞きつけて、土地土地のそういった場所に連れていってくれるんですね。だから、今の日本は、伝統から切り離されているようでいて、実は自然に継承されているように感じますね。例えば、徳島発祥の阿波踊りも、近年、各地で行われるようになって、ものすごい人を集めていたり、伝統文化だからと気負わずに、そして、歪んだ形のナショナリズムに結びつくことなく、そうしたものに触れることが出来るようになってきている気がしますね。

その土地土地に根付いてる日本の伝統音楽はいかがでしょう？

2009年に奄美大島で皆既日食音楽祭があって、僕も出演したんですけど、そのメイン・フロアで島踊りの時間が設けられたんですね。その島踊りっていうのは島に伝わる伝統芸能で、沖縄の伝統芸能であるエイサーみたいな緩いBPMでドーンと始まって、その瞬間は島民もやってきたり、最大の動員だったんですけど、そこからどんどんテンポが上がって、最後、六調っていう沖縄でいうところのカチャーシーっていう舞曲を三味線や太鼓で演奏し始めたら、ダンス・フロアが爆発したんですよ。そこで海外のレイヴァーが狂ったように踊っているのを見て、日本の伝統音楽にもグルーヴがあって、今でも十分に機能するんだなと思いましたね。そうした日本の伝統音楽を意図的に自分の作品に取り込もうとは思わないんですけど、そういう他では得がたい体験は間接的、無意識的にでも自分の音楽に表れているような気がします。

様々な国の風土や歴史、伝統や革新を様々な観点から目の当たりにしてきた井上さんはいまダンス・ミュージックに何を見ているんでしょうか？

2000年代後半以降、ダンス・ミュージックの細かいサブジャンルに興味が持てなくなっていった自分は逆にダンス・ミュージックの本質的な意味合いを見極めてみたくなったんですね。逆にそういう観点に立ち返らないと、ダンス・ミュージックの微細な変化に流されてしまうなって。そんな時、かつて衝撃を受けたとある音楽ジャーナリストの「ハウス・ミュージックは都市の民族音楽だ」という言葉がよみがえってきたんですね。踊るという行為を広い視点で考えた時、民俗学的な観点でいえば、コミュニティーの結束を高めるためだったり、あるいは幻覚性植物を摂って、みんなで未来を幻視するためだったり、集団の重要な局面で踊るという行為が行われてきた歴史があるじゃないですか？そう考えた時、自然の営みとして何百年も何千年も行ってきた踊るという行為の崇高さに改めて気づかされたというか、そうした長いスパンでの視点で改めてダンス・ミュージックに向き合った時、その面白さが以前とは劇的に変わったんです。今の自分はそういう地点からダンス・ミュージックと向き合っているんだと思いますね。

それと同時に井上さんはアコースティック・ギターを手にしたデュオ、AURORA ACOUSTICでも活動されていますし、2002年に「Aurora EP」をリリースした別プロジェクト、Chari Chariも来年以降、久々に再開されるとか？

AURORA ACOUSTICは富士山の麓で行われた野外パーティで散々遊んだ朝方、遠くで鳴ってるDJのプレイを聴きながら、「このテクノやハウスのミニマリズムだけを抽出して、それをギターで演奏したら面白いんじゃないか？」っていうところからスタートしたプロジェクトで、その源流にエレクトロニック・ミュージックがあるアンビエント、チルアウトから、プレイヤーとしての楽器の鍛錬や楽曲性と向き合ったことで、新しいアルバム『Harmony of the Spheres』では発展的な作品世界になっているんです。Chari Chariは、サンプリングのみで熱帯の湿度を作品に塗り込めたいという熱意からスタートして、ダンス・ミュージックにとらわれない楽曲性を極めていく作業に疲弊してしまったことで長らく活動を休止していたんですけど、その間、音楽の原型であるダンス・ミュージックをソロ名義の作品で突き詰めたことで、改めて、音楽的に自由でありたいと思うようになったことで、Chari Chariの音楽世界に向き合ってみようと思うようになって、いま考えているのは、ライヴ・アクトとしても機能するバンド形態での表現ですね。ダンス・ミュージックや民族音楽と出会う以前にバンドで指向していたタイトなグルーヴ感やダイナミズムに20年以上振りに立ち返って、それを今の感覚で突き詰めてみたいなと思っていますね。